Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Money の中で、次の文が私を惹きました。
I can't afford to waste my time making
money.
Jean Louis Rodolphe Agassiz(1807-73) Swiss
naturalist.
When asked to give a lecture for a fee
Attrib. Ⅰ
Business, you know, may bring money, but
friendship hardly ever does.
Jame Austen (1775-1817) British novelist.
Emma, Ch. 34
If it's a good script, I'll do it. And if it's a
bad script, and they pay me enough, I'll do
it.
George Burns (1896-1996) US comedian.
Remark, Nov 1988
It has been said that the love of money is
the root of all evil. The want of money is so
quite as truly.
Samuel Butler (1835-1902) English novelist,
essayist, and critic.
Erewhon, Ch. 20
I think I could be a good woman if I had five
thousand a year.
William Makepeace Thackeray (1811-63) British
novelist.
Vanity Fair, Ch. 36
The easiest way for your children to learn
about money is for you not to have any.
Katherine Whitehorn (1926-2021) British Journalist.
How to survive Children
You can be young without money but you
can't be old without it.
Tennessee Williams (1911-83) US dramatist.
Cat on a hot Tin Roof, Ⅰ
本 エッセー は、前回からの続きです。今回、引用文の 3番目から始めます。
引用文の 3番目の日本語訳は、「もし いい台本なら、私はそれを演じる。そして、出来の悪い台本なら、報酬が見合うだけのものであれば、私はそれを演じる」。この ことば を言った ジョージ・バーンズ 氏は、アメリカ 合衆国 ニューヨーク 生まれの俳優、コメディアン です──だから、台本 (script) と言っている。この引用文は、職業人として至極真っ当な態度だと私は思うけれど、私が もし俳優・コメディアン であれば、私は たぶん 出来の悪い台本なら報酬が見合うだけのものであっても、演じないでしょうね。
実際、それに似たようなことを私は体験しました。そして、その仕事を私は断った。或る企業 (A 社) から仕事の依頼 (データベース 設計) があって、当時 私は次の他の仕事が決まっていて、私が仕事を契約する順番というのは First come, first out を規準にしていたのですが、A 社と私とのあいだで両方の知り合いが介在していたので無碍に断るのは礼を欠くと思い、A 社へ出向いて こちらの事情を説明しました。そしたら、A 社の部長が私に次のように言いました──「ビジネス なのだから、報酬を倍にすれば、受けてくれるだろう?」。当時の私の報酬は そうとう高かったのですが、その高額の報酬の倍を払えば、私が依頼を受けるとでも彼は思ったのでしょう。しかし、彼のその ことば を私が聞いたとき、私の心のなかで怒りに近い感情が沸き返った。私は平静を保ったまま丁重に辞退しました。彼は自らが言ったことに対して 後ろめたさがあったのか、私のほうを見なかった。
私が その時 どうして怒りを感じたのかは、今となっては正確にわからない。「(損をすると思っていても、時には損のほうを選ばなければならないと いう) 美学」(?) というような格好いい信条から私が怒りを感じた訳ではない。ただ、彼が私を 「(金銭を多く積めば、動くだろうと) 軽く見ている」 というふうに私はその時に感じたのかもしれない。ビジネス としたら、私は下手な選択をしたのかもしれない。でも、怒りを感じたという直感を私は大切にしたい──私は怒りという感情に流されて、頭に血が上って見境なく対応したというのではない。彼の言ったことに対して、なんだか とても嫌な感情を覚えたということを私は冷静に感じていました。事業に興味のない、金銭に無頓着な 「文学青年」 が仕事をすれば、此な所が此なものにや www.
引用文の 4番目の日本語訳は、「金銭を愛するというのは諸悪の根源であると云われてきた。金銭が欠乏して (金銭を) 欲しがるというのは、正直なところ それと同じくらい まったくもって その通りなのである」。事業に興味のない、金銭に無頓着な 「文学青年」 であっても、「金銭が欠乏して金銭を欲しがる」 状態に陥ったことがある── 2011年の東北大震災のときに、私の会社 SDI が廃業寸前に追い込まれて私が破産寸前になった時の状態でした (これについては、前回 述べているので、これ以上綴ることはしない)。貧乏であることは不便だなと思っても恥ではない。社会制度上、ワーキング・プア という ことば が人々の口上にのぼるように、一生懸命に働いても貧乏である場合も多い。私も、「超 売れっ子」 だった 30歳代の頃に比べて、40歳代・50歳代には数学・哲学を学習するために仕事を意図的に減らして貧乏になったことがある。私は、そもそも 「文学青年」 的気質が強くて金銭に無頓着だったので、貧乏になっても自らの興味あることしかやってこなかった。自らの興味を抱いたことを継続して探究していくのであれば、(その探究の結果として) 金銭の獲得を目的としていては、学習途上で たぶん 挫折して探究を投げ捨ててしまうと思う──探究の途上では、探究が つねに順調に進むという訳ではなくて、なんら成果も出ないまま試行錯誤をくり返すことが たびたび 起こるので、金銭獲得が目的であれば、探究が遅々として進まない状態になったときに探究を嫌になって投げ捨ててしまう危険性が高い。「興味あるから探究する」 というのが学習の鉄則ではないか、そこに他の目的が混入すれば、探究心が揺らいでしまう。
引用文の 5番目の日本語訳は、「もし 私が 一年で 五千 ドル を持っていれば、私は素行のいい女性になれるだろうと思う」。年収が五千 ドル (日本円に換算すれば、600,000円くらいかな) あれば、素行のいい女性になれるってことかな、、、1ヶ月あたりに換算すれば 5万円か、この金額では たとえ ミニマリスト であっても東京 (あるいは、首都圏) で生活するのは ムリ でしょうね。この引用文は、サッカレー 氏の長編小説 「虚栄の市」(1847年 作) からの抜粋文ですが、私は この小説を読んだことがないので、どういう文脈で綴られているのかがわからない。この小説は、Wikipedia によれば、「19世紀初頭の ロンドン を舞台に、上流を目指す富裕層社会に生きる人々を諧謔と諷刺に富んだ文章で描き痛烈に批判」 しているとのこと。当時の五千 ドル が どのくらいの購買力があったのかを調べるのが面倒くさいので正確なことを私は言うことができないのですが、この小説が富裕層社会に生きる人々を諷刺しているのであれば、質素な生活をするには ギリギリ の額だったのでしょうね。
私は、若い頃には、「金銭は汚い」 と本気で思っていたのですが、年をとるにつれて、「金銭はあればあるでいいけど、生活をするに足る程度の金銭があれば それでいい」 と思うようになってきました。「生活をするに足る程度の金銭」 というのは、独身なのか結婚しているのか そして子どもがいるのかなど その人が置かれている環境によって額がちがってくるでしょうが、独身であれば月額 15万円くらいであれば なんとか生活していけるかな、厚生年金の平均値 (ただし、中央値ではない) も 15万円弱ですね。ただ、いっぽうで、子どもがいれば、教育費が増大しているので、子ども 2人を それなりの大学に通わせるとなれば、年収 400万円 (日本の平均値) でも きついのではないか──奨学金を貸与されたとしても [ 日本では、大学生の 2人に 1人が貸与型の奨学金制度を利用しているそうですが ]、子どもが働くようになって給与から まいつき 奨学金の借り入れを返済するとなれば、生活していくのは きついでしょう。若者の初任給が安いのに、その中から税金・社保・奨学金返済などを払えば、生活の余裕などないでしょう──実質、給与の 6割くらいしか可処分所得がないのではないか。
生活費に余裕がなければ、心にも ゆとり がなくなるのは否めないでしょうね。自らの生活を考えることで手いっぱいで、他人への配慮を欠く状態というのは決して良いことじゃないでしょう。あくまで 私の印象にすぎないのですが、日本人の精神が 近年 次第に貧相になってきたように感じています。バブル 期のように、日本中が逆上 (のぼ) せて自惚れていたのも狂った状態でしたが、ワーキング・プア が増大してきている状態も 社会制度上 宜しくない。社会制度の改良は、個人の力では どうしようもないことですが、個人にできることは、せいぜい シニック な人が多い社会のなかで、心に ゆとり をもって真面目に働く [ 意欲し、計画し、実践する ] ように努力することではないか。私 (今年 6月で 70歳) は 65歳から年金を貰いながら働いていますが、私の残り少ない人生を そういうふうに送りたいと思う。
今回の エッセー では 3つの引用文を扱いましたが、エッセー の文章量も多くなったので、残りの 2つの引用文については、次回に私見を述べることにします (次回へ続く)。
(2023年 3月 1日)