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Hills are th earth's gesture of despair / for the unreachable. (Barindranath Tagore)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Mountains の中で、次の文が私を惹きました。

    Mountains are the beginning and the end of
    all natural scenery.

    John Ruskin (1819-1900) British art critic and writer.
    Modern Painters, Vol. Ⅳ

 
 引用文の日本語訳は、「山々は、美しい自然の始まりであり終わりである」。

 「反 文芸的断章」 (2023年 4月15日) のなかで、私は セザンヌ (画家) の 「サント・ヴィクトワール 山と シャトー・ノワール」 が大好きであることを述べました。その理由として、私が幼少期に育った田舎の風景を よび起こすからかもしれないことを綴っています。私が生まれ育った村は、富山県の (新潟県との県境に近い) 海辺の半農半漁の寒村です──わが家は海まで直線距離にして 200メートルくらいのところにありました、祖父は若い頃には遠洋漁業の出稼ぎ猟師だった。私は、小学校六年生の夏休みまで其処に住んでいました (その後、わが家は、父の 仕事上 [ 転勤で ] 富山市内に引っ越しました)。だから、私は、幼少期には海に慣れ親しんでいました。

 海に慣れ親しんでいた故なのか──海が近くに存るのが生活のいちぶとして当然だったので──、寧ろ私は海には愛着が 殆どない。新潟県との県境まで足を伸ばせば山が (というよりも丘かな) 連なっていて、小学校の遠足で それらの山を訪れた記憶が強烈にのこっています。その記憶を辿ってみれば、季節は秋で、山のなかでは木々の葉が オレンジ 色や赤色に燃え盛り、落ち葉が地を覆っていて、私は落ち葉を踏みしめながら──今 振り返ってみれば──自然と同化した忘我の状態 (恍惚?) を味わっていたようです。この場面は、いまでも鮮明に思い起こすことができる。そして、富山市内に引っ越してからも、立山連峰を見渡すことができた。特に、冬の頃、どんよりと曇った空を背景にして、冷え冷えとした空気のなかで、雪を頂いた立山連峰を観るのが私は好きだった。大学生になって上京してからも、大学の冬休みに帰省した時に、一面 雪に覆われた田畑のなかを走る特急 「白山」 号の窓から眺める雪山が好きだった──灰色の空を背景にして、一面に広がった雪に覆われた田畑の果てに、まるで水墨画で描いた ぼかしたような、でも厳 (いか) めしい重量 (マッス) を示して連なる雪山のすがたを眺めるが大好きだった。海辺で育った私は、寧ろ逆に 山を こよなく愛しているようです。私の原風景は、海ではなくて、山々なのかもしれない。シオラン (哲学者) は次のように独白しています──

    かっては自分もひとりの子どもであったことを想い出す。
    それがすべてだ。

 私は、今、この ことば を噛みしめています。私は、思い出を振り返って感傷に浸 (ひた) るほどの センチメンタル な性質をもちあわせていないのだけれど、案外 子ども時代というのは一つの神話なのかもしれないですね。

 
 (2023年 8月 1日)

 

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