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cheap and nasty (Proverb)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Nastiness の中で、次の文が私を惹きました。

    One of the worst things about life if how
    nasty the nasty people are. You know that
    already. It is how nasty the nice people can
    be.

    Anthony Powell (1905-2000) British novelist.
    A Dance to the Music of Time: The Kindly Ones, Ch. 4

 
 引用文の日本語訳は、「人生について最悪のことの一つは、たちの悪い(悪意のある)人は どれほど たちが悪い(意地悪である)か、そんなことは わかっている。いい人が どれほど卑劣になれるか(意地がわるくなるか)ということだ」かな。Nastiness は、「不快さ、不潔さ、卑しさ」 ということ。

 相手を 普段 いい人だと思っていたのに、なんかの拍子に 相手が 一瞬 思わぬ卑しさ (意地の悪さ) を顕すことがある──相手の言動は、何気ない (聞き流そうと思えば、あるいは気にしなければ、その場限りの) 些細な言動なんだけれど、後になって 相手の言動が 私の心のなかに棘 (とげ) が刺さったように痛む。私は、他人の言動を一々気にするほどの繊細な性質ではないのだけれど──言い替えれば、他人のことなどに無関心な、図太いほどの自己中なのだけれど──そのときの相手の言動は、後々になればなるほど鮮明に思い出される、そして私の記憶から消えることがない。私は、執念深い性質ではないので、念のために断言しておきます。寧ろ、他人が私のことを どうこう非難しようが 全然 気にしない。しかし、相手を いい人だと思っていたのに、なんかの拍子に 相手が洩らした一言が ひどく気になるときがあることを nastiness の引用文を読んで 改めて考えさせられました。

 引用文を読んで、私は、小林秀雄氏の エッセー 「批評家失格 Ⅰ」 を思い出しました。彼は 「批評家失格 Ⅰ」 の書き出しで次の文を綴っています──

    陰口きくのはたのしいものだ。人の噂が出ると、話ははずむ
    ものである。みんな知らず知らずに鬼になる。よほど、批評
    はしたいものらしい。
    面と向って随分痛い処を言ったつもりでも、考えてみれば
    きっと用心してものを言っている。聞いてもらう科白 (セリフ)
    にしてものを言っている。科白となれば棘も相手を傷つけぬ。
    人の心を傷つけるものは言葉の裡の棘である。
              *
    陰口では、人々はのうのうとして棘を出し、棘を棘とも思わない。
    醸し出されるきたならしい空気で、みんな生き生きとしてくる。
    平常は構えてきれい事に小ぢんまりと蒼ざめた男が、ふと、
    なまなましい音をあげたりする。そんな時、私はなるほどと、
    きたならしいさに心を打たれる。このきたならしさを忘れまい。
    これは批評の秘訣である。
              *
    人の噂を気にするな、と。人の噂を気にする奴に、噂は決して
    聞えてこない。自分の心をしゃっちょこばらせ、さて噂を聞こうは
    図々しいのだ。ふと耳に這入 (はい) った陰口に、人は ドキン
    とするがいい。
    自分の心に自分でさぐりを入れて、目新しいものが見つからぬと
    泣き言を言っても始まらない。凝 (じ) っと坐って一日三省は
    衛生にいいだけだ。分析はやさしい。視点を変える事は難しい。

 小林秀雄氏の この エッセー は、nastiness の引用文の 「解説文」 として見事に流用できますね、そして 私が nastiness の文を読んで 心のなかにわだかまっていた疑問点に対して明確に応えてくれています。「批評家失格 Ⅰ」 は、1930年11月に発表された エッセー です、今から 83年前の作品です、小林秀雄氏が 28歳のときの作品です。「文学青年」 を自称する私は、齢 70にもなっているのに、これほど鋭い分析と見事な文体を為すことができない、、、「文学青年」 ごときじゃ、本物に比べたら、屁のつっばりにもなんのだわ (泣)。

 
 (2023年11月15日)

 

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