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I am not an Althenian or a Greek, but a citizen of the world. (Socrates)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Nationality の中で、次の文が私を惹きました。

    Men of England! You wish to kill me because
    I am a Frenchman. Am I not punished
    enough in not being born an Englishman?

    Vlotaire (François-Marie Arouet; 1694-1778) French writer.
    Addressing an angry London mob who desired to hang him
    because he was a Frenchman
    Attrib.

 
 Nationality の意味は、「国籍、国民、(一国家内の) 民族 [ 集団 ]、部族」。  引用文の日本語訳は、「イングランドの諸君! あなた方は (できたら) 私の命を奪いたいと思っている、というのは私はフランス人であるから。私が英国人として生まれていないということが、私が もっと罰せられるべきだということなのですか?」

 こういう nationality に関する議論は とても入り組んでいて、本 エッセー で意見を述べることは ムリ です。私は、最近、ヨウツベ で ヨーロッパ の歴史および宗教 (おもに、キリスト 教) の歴史についての動画を数多く閲覧していますが、政治・経済・文化が それぞれの国のあいだの相互作用のなかで、それぞれの国が独自性 (個性・固有性・主体性) を形成しつつ、いっぽうで相互作用の根柢には広大な類似性も感知できる。ドキュメンタリー と称する動画であっても、膨大な史料を切り抜いて あるいは要約して、制作者の 「視点 (『解釈』) に沿って編集されているので、(歴史学を専門にしていない私のような程度の門外漢は) 一次史料に できるだけ近い資料を引用した動画を数多く観て、自らの心のなかに次第に形成されてくる朧気な印象を頼りにする他はない。あるいは、いっそのこと、他国・他文化に対して興味を示さないのが 一番 気楽になれるのかもしれない、しかし、自らの個性や自国の独自性というのは、他人や他国と比較して感知できるのであって、他人あるいは他国を考慮外にして 自らが ただそこに生まれたというだけで 自らの国が一番によい (すぐれている) と思い込むのは短絡的思考でしょう──勿論、そういう短絡的思考は個人の信念の問題であって、そう思いたい人は そう思っていればよいし、私は そういう人を視野の狭い ヤツ だなと思って、そういう人と話するのを停めて関わりをもたないようにするだけです。

 私は、若い頃 (30歳代) から 「アウシュビッツ 絶滅収容所」 に関心を抱いていて読書をしてきました (「読書案内」 参照)。私の関心は、「アウシュビッツ 絶滅収容所」 だけに限られているのではなくて、「アウシュビッツ」 というのは一つの象徴 (民族殲滅) であって、それに象徴される 「人間の不条理性・残忍性」 を凝視したかった。「人間の不条理性・残忍性」 を凝視して、私が ふだん 生活するうえで いったい どのような益がある (為になる) のかと問われれば、私は答えに窮する、、、しかし、私の心は、「アウシュビッツ」 を無視できないと急き立てる。私は、私の心のもとめるままに読書を進めるだけです。

 ヴォルテール は、「あなた方は (できたら) 私の命を奪いたいと思っている、というのは私はフランス人であるから」 というふうに言っていますが、そのように言った ヴォルテール は 「反 ユダヤ 主義者」 でした、、、当時、聡明な人物と評されていた ヴォルテール にして然り。もし、私が第二次大戦中の ナチ 政権下で生活していたら、私は ナチズム に抵抗するか (抵抗できるか)、、、過去の出来事について 「もし (ifs and buts)」 を言っても空想にすぎないけれど、私は アウシュビッツ の惨事を 「見て見ぬふり」 をするのではないか──書斎に閉じこもって、身近な世間で起きている惨事から逃避するのではないかと、、、そして、戦争が終決したら 書斎から出てきて、「私は ナチズム や戦争に反対だった」 というふうに 抜け抜けと声高に言うのではないか、、、人間の不条理性・残忍性は闇が深い、、、。

 
 (2023年12月 1日)

 


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