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Hope is but the dream of those that wake. |
若者の伸びてくる過程を観るのが愉しい。 青春時代に抱いた夢を実現した人は幸いです。でも、おおかたの人たちは、家庭を養い、仕事に追われて、いつしか、その炎もくすぶるのではないでしょうか。それでも、夢の灯は、たとえ、かすかになっても、消え入ることはない、と思いたい。 夢が明るい性質を帯びていることは確かだけれども、いっぽうで、夢に対する憧れは、「ロマン」 という ことば を使ったとたんに、やや、「哀愁」 の ニュアンス を帯びるようですね。夢を抱いているのだけれど、実現できそうもないし、でも、捨てることができない、という ジレンマ が哀愁感を帯びるのかもしれない。ほかの人たちには、きっと、理解されない孤独な夢が ロマン なのかもしれないですね。
年配のひとが、長い人生体験を楯にして、若いひとが抱いている夢や理想を、「甘い」 とか 「世間を知らない」 というふうに、切り捨てる態度に対して、僕は、怒りを感じて、異議を申し立てたい。「若い」 というのが、若いひとの 「取り柄」 です。年配のひとも、かって、若者として、未知数だった。未知数としての青春のなかで、理想や夢という曖昧なものを、懸命になって、育てている若い人たちを見下げる態度は止めていただきたい。「甘い」 とか 「世間を知らない」 という ことば は、年配のひとが、みずからの人生を振り返って、悔恨として出てきたのかもしれないけれど、次世代の人たちに対する忠告 (助言) の ことば ではない。 |
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