私は、(故郷を離れて以後、) 首都圏に住んでいる年数のほうが、故郷で過ごした年数に比べて、長くなった。
「郷愁」は、いよいよ冴えて、孤独と融合する。 だから、こびりついた悲しみを、擦り落とせないままに、悲壮感が漂う。 これは、もう、「郷愁」ではない。 朝露を滴らせ、しっとりと濡れた緑草を想う ゆとり は、そこにはない。「ふるさと」は、原風景の記憶から、安らぎのシンボルに没落した。
(2004年10月 1日)