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One must reap what one sowed.

 
 仕掛かり中の仕事を的確に評価することは、むずかしい。 というのは、評価は、成果物に対しておこなわれるべきであるから。 仕掛かり中の仕事を評価する際、評価点の1つとなるのは、抱いている志ではなく、志に向かう努力である。 苗植えと刈り入れは、同時ではない。 この隔たりを、私はよく忘れて、抱いている志が実現されることを空想して、安心してしまう。 この隔たりを埋めるために、実は、日々の烈しい汗があるのだが...。

 不平家である私は、物事が思い通りにいかないときには、「本来の私」ではないと愚痴をこぼす。 だが、「本来の私」とは、いったい、どういう状態をいうのか。 それは、過信が生み出す幻想である。 さらけ出された自らを見据えることだ。 そうすることは、惨めだが、過信 (自惚れ) を、恥ずかしい、と感じるだろう。

 また、頑固な私は、自らのやったことは、自らで責任をとる、と豪語する。 それでいて、意気地なしの私は、責任という言葉に対して、深淵な断崖を感じて、戦慄する。 責任は、そこには、悔いの余地はない。 非難のなかで返す言葉はない。 言い逃れたいのが人性だが、そんな言葉は空語としか響かない。

 
 (2004年11月 8日)


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