▲ このウインドウを閉じる |
One must reap what one sowed. |
不平家である私は、物事が思い通りにいかないときには、「本来の私」ではないと愚痴をこぼす。 だが、「本来の私」とは、いったい、どういう状態をいうのか。 それは、過信が生み出す幻想である。 さらけ出された自らを見据えることだ。 そうすることは、惨めだが、過信 (自惚れ) を、恥ずかしい、と感じるだろう。 また、頑固な私は、自らのやったことは、自らで責任をとる、と豪語する。 それでいて、意気地なしの私は、責任という言葉に対して、深淵な断崖を感じて、戦慄する。 責任は、そこには、悔いの余地はない。 非難のなかで返す言葉はない。 言い逃れたいのが人性だが、そんな言葉は空語としか響かない。 |
▼ このウインドウを閉じる |