独自の着想を得る研究家は、10人のなかで、2人くらいの割合かもしれない。だが、この 2人も、ついには、離れることになる。ひとりは、アフォリズム しか提示できないまま終わり、もう ひとりは、雄大な 「包括的な単純性」 にまで至る。さまよい続けた ひとと、ひとつの場所に住み着いた ひとの違いである。
そして、私は知っている、アフォリズム しか綴れなかった ひとの悲哀を、、、。「終 (つい) の棲家」 を見い出せないまま、憤怒の固まりとなって、さまよい続ける悲哀を。アフォリズム しか綴ることができないという危惧、、、今の私の危惧である。
(2005年 1月23日)