或る人が、苦悩のあまり、仏門に入って悟りを得ようとしたが、その 人が仏に諭されたことは、あるがままの煩悩を、あるがままに観るという 凝視力だった、と告白している。
わたしは、自分の煩悩を、冷徹に凝視することができるか。
(2005年 4月16日)