シューマンの交響曲第4番を聴いて遺る印象は、「期待」を謳歌する明朗な
音の厚みの背後に宿されている悲劇的結末の「予感」あるいは暗示の旋律で
ある。それは、あたかも、極彩色の糸で織り込まれた刺繍が、やがては、糸
が綻びゆく様を想起させる。これと似た印象を、「ハンガリー狂詩曲」を
聴いたときに感じた--極彩に色どられた陶磁作りの西洋風人形が、
ユックリと回転している光景が浮かんだ。人形を床に落とせば、見事に砕け散る
「冷たな危うさ」であった。ふたつの作品とも、共通するのは、技巧的難曲
であり、聴いた後に遺る印象は、豊饒な音が織りなす「危うさ」である。
ベートーヴェンが示した揺るぎない構成力を、わたしは憧れるいっぽうで、シューマンの「危うさ」
にも惹かれる。
(2005年 5月 1日)