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Many a one sings that is full sorry.

 
「今日(きょう)」を苦しみ、耐え、「過去」を振り返って微笑む。 これが、日常生活の様相であり、この繰り返しが、人生なのかもしれない。 生活は、忍耐の連続なのか。そして、束の間に、追憶に浸る。 追憶は、いつも、僅かの痛みを伴う甘美な悔恨である。たとえ、それが 幸せの瞬間を追憶するときであっても。

悔恨の多くは、実行しなかったことに対する悔恨や、もっと良い選択が あったことに対する遺憾ではあるが、全身全霊を打ち込んだにもかかわらず、 言い知れぬ悲しみ・寂しさを感じる。その悲しみ・寂しさは、選択されないで 葬り去られた様々な可能性が呻き落していった怨みなのか。言い換えれば、 かっての行為が最良である、と自分に言い聞かせながらも、そうではないので はないかという不安感、すなわち、もっと良く、もっと多くを欲する執着心に対する 人生の痛烈な復讐なのか。

 
 (2005年 6月16日)


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