帰郷した。(農村の) 田園風景が、わたしの心に浸み入る。
しゃがみ込んで、泣きじゃくりたいくらいに浸み入る。きっと、わたしの 「こども時代」 を思い
起こす風景だから。
芥川龍之介は、以下のように述べた。
人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光、竹の戰ぎ、群雀の聲、行人の顔、 ----あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。
人生を幸福にする為には?----しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであらう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を與へたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享樂の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に樂しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。
人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光、竹の戰ぎ、群雀の聲、行人の顔、 ----あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。
(「侏儒の言葉」)
(2005年 7月23日)