「規律を尊ぶ」 ことが大切であることを私は認めるし、見事な秩序は強い統率と
確固たる意志によって成就されるものであり、保たれている調和は、
ひとつの美を感じさせる。そして、保つという営みに、どれほどの
有意の持続がなければならないかも私は知っている。
規律には、かならず、目標がなければならない。そして、その目標は、
行動を制約する。この意味において、目標は多数であってはならず、
ひとつ あるいは少数でなければならない。なぜなら、多数の目標は、
行動を ばらばらにする顛末となるから。ばらばらになった行動には、もはや、
調和などは無い。
愛校心 ・ 愛社心 ・ 愛国心 という ことば が、「行動を統率する」 ために
使われることを、私は嫌悪する。
自分が学んだ学校を愛するだって?
自分が勤めた組織を愛するだって?
自分が生まれ育った国を愛するだって?
愛は、スローカ゛ン (propaganda slogan) ではない。愛は、つねに不同である。愛を規律で制約する時、制約された想いは活路を探して
不当に流れる。愛は動力である。人々は、それぞれ、様々の想いで愛するのである。
(2005年11月 1日)