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Wine in the bottle does not quench thirst.

 

 「本当に自分がやりたいことをやっていないから、私は、いつまで たっても私になれません。」--この文章は、「自我」 という観念に慣れ切った現代人 を魅惑する実に巧妙な修辞法です。書いた本人さえも気付かないほどに巧妙 に仕組まれた罠です。沈潜し切った思考が微塵もない、感情を愛撫しているだけの 皮相的な独白に過ぎません。

 安定を求めようとする人びとほど----人は、誠実であればあるほど、 生活に悩み苦しみ、そして、その苦しみから逃れようとして安定を 求めるのでしょうが----思想という ことば を多用する傾向にあること を、私は観察してきました。

 思想とは構築物です。ある思考過程あるいは行為の産物に過ぎないのです。 「固定」 あるいは 「構造」 という暗示をもつ ことば なのです。思想を 持とうと意識した時点で、人は、値札を貼られた単純な構成物に成り下がるのです。

 「大事なのは説明ではない。説明の結果として克服の道が明らかになるのでは ない。当初にうけた啓示の信仰のみが我々を直ちに実践者の立場に立たしむる であろう。」 (亀井勝一郎)

 
 (2006年 3月23日)


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