じぶんひとりの便益しか思量できない人に対して怒りを覚えるが、 このような類いの人たちをも (私も) ふくめて、「一切衆生」 が済度されることはできるのかという疑義が私のなかで強い。 次の一点が、そして、これこそが菩薩の存在理由なのだが、 私の信仰の試金石であろう。 「一切衆生病めるを以て、是れ故に我も病む」 澤木興道老師曰く、 「迷いの根源は、オレというものを思い出してから後の話じゃ。」 (2006年 6月 8日)
「一切衆生病めるを以て、是れ故に我も病む」
澤木興道老師曰く、
「迷いの根源は、オレというものを思い出してから後の話じゃ。」
(2006年 6月 8日)