私は、或る研究 テーマ を、ひたすら、追究してきました。でも、その途上で、
たびたび、寂しさに襲われました。そのたびに、「これしかできない」
と慰めとも励ましとも わからないような言葉で叱咤しますが、はたして、
これでよかったのかしらと、ときどき、寂しさといっしょに、疑いが
フッ と頭を擡げます。
「自分の思ったことを やり通しなさい」 と言われますが、私も、それ
を充分に わかっているつもりです。専門家として一事を成し遂げることは、たぶん、
すばらしいことでしょう。一心不乱に仕事に没頭している様 (さま) は貴い。
だけど、そこには、情熱とともに、底知れぬ寂しさを感じます。祭りのあとで
漂う寂しさのなかで、ふだんの生活にもどるのは、むずかしい。それは、
どうしてなのか を 今の私には巧みに説明できませんが、専門家として一事に
専念することは--ひとつのことに専念するために、ほかのことを拒絶しなければならない
ことは-- 「一人の人生」 としては、あまりに寂しい人生ではないか、
ということです。ノーベル 賞を受賞した或る女性科学者は、(みずからの人生を
振り返って、)「受賞よりも、恋愛がしたかった」 と言ったそうです。
では、彼女が燃える恋愛をして、その思い出のみに生きる生涯であったとすれば、
彼女は、後悔しないのかしら。やはり、後悔するのではないのでしょうか。
どちらの道を選んでも、たぶん、悔恨が生まれるのかもしれませんね。
今の複雑な社会にあって、ひとりができることなどは高が知れています。
それは、私にも充分わかっています。自分に対する幻想は、最後まで捨て
切れないと言われますが、やはり、「みずからの力 (ちから) のかぎり
まで やってみたい」 という逸る熱情は理性を凌駕するほどに、今の私は
若いのかもしれない。
(2006年10月 8日)