巡ってきた幸福のなかで、逆に、不安を感じて おののき、それゆえに、
みずから、幸福を投げ捨て、一ケ所に ジッ としていることのできない
寂しい人たちを私は観てきた。かれらは、孤高であることを みずからの誇り
とし、他人に阿 (おもね) ることはしない。そのために、かれらは高慢
であると非難されていた。
だが、かれらにとって、謙虚であるかどうかは、どうでもよかった。
「誠実」 こそは、かれらが 他人を評価する尺度であった。謙虚なひとが、
そのまま、誠実な ひと にならないことを かれらは見透かしていた。
芥川龍之介曰く、
わたしは實は彼等夫婦の戀愛もなしに相抱いて暮らしてゐることに驚嘆してゐた。
が、彼等はどう云ふ譯か、戀人同志の相抱いて死んでしまつたことに驚嘆してゐる。
(「侏儒の言葉」)
死にたければいつでも死ねるからね。
ではためしにやつて見給へ。
(「侏儒の言葉」)
(2006年10月16日)