私は、「悟る」 ために坐禅修行するのだと思っていた。ところが、
澤木興道老師は、坐禅は 「何にもならん」 と喝破なさり、「悟り」
などと あざとい名前で呼ぶものではないとおっしゃる。
「悟った」 などと人間の妄我分別で言うのは、芸事が チョット
上手になっただけのことで仏法とは関係ないとおっしゃっている。
正直言って、当初、澤木老師の ことば は アッサリ し過ぎて
魅了されなかった。しかしながら、澤木老師の全集を読み進んでゆくに
つれて、澤木老師こそが道元禅の正師のように思われるようになってきた。
「悟らず迷わず」 とは、澤木老師の境涯である。
道元禅師曰く、「眼横鼻直」。
(2006年12月23日)