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Not to burn one's house to get rid of the mice.

 



 荻生徂徠は、「答問書」 のなかで以下のように言っています。(参考)

     荘子・老子の道は、山林の中に籠もって一人で生活する隠遁者の道です。釈迦
    も、世間から離れ、家庭を捨てて乞食の境遇になって、それから考え出した道です
    ので、自分個人の問題ばかりで、天下国家を治める道は説いておりません。です
    から、「聖人の道も もっぱら自分個人の身心を修めればよく、自分の身心さえ修ま
    れば天下国家も自然に治まる」 などという説は、仏教や老荘思想の余りものの
    ようなものと お考え下さればよいでしょう。(略) 天下国家を治める道というのが、
    聖人の道の主意です。(略) 聖人の道と仏教や老・荘の道との分れ目は、ただ
    この点のみと お考え下さい。

 荻生徂徠は、「聖人の道」 を (一般大衆を幸福にする社会のありかたを中国の古代の帝王に範をとっていますが) 追究した儒学者です。そのため、政治・経済に対しても、かれは、どしどし、意見を述べています。 いっぽう、仏教の 「道」 は、大衆を済度する大乗仏教であっても、どちかといえば、「(俗識からの) 解脱」 を説いています。

 私は、いままで、いつも、この 2つの道のあいだで揺れていたようです。そして、私が徂徠に対して驚嘆する点は、「政治と文学」 が離反していないという点です。「風雅文采」 は、かれの生活態度だったそうです。かれは、前述したように、仏教を信じていなかった。だから、「政治と宗教」 という煩悶は、かれには無縁だったのでしょうね。私は、現代の文芸評論家のなかで、小林秀雄と亀井勝一郎を読み込んできましたが、徂徠の宗教に対する逞しさを、私は、小林秀雄のなかにも感じています。いっぽう、亀井勝一郎は、「政治と宗教」 のあいだで (そして、「宗教と文学」 のあいだでも) 揺れた。私が亀井勝一郎に惹かれる点です。そして、私は、いっぽうで、徂徠にも惹かれている、、、。

 論語 (為政) には、「五十而知天命 (五十にして天命を知る)」 と記されていますが、53歳にもなって、いまだ、「じぶん探し」 の路頭に迷っている私は、いったい、「曲芸 (小さな技能) の士」 にもなれないのかしら、、、。

 
(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    301 ページ - 302 ページ。引用した文は、中野三敏 氏の訳文である。

 
 (2007年 3月23日)


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