「平家物語」 のなかに、以下の文がある。
あつぱれ文武二道の達者かな
「平家物語」 でいう 「文武二道」 は、文官と武官という当時の制度を前提にしている。そして、現代でも、「文武両道」 という言いかたが遺っていて、「学問と武芸 (現代なら、「学問と クラブ 活動」 とか 「学問と実践」 というふうになるのかも)」 を両立させることが理想形とされて、われわれは、それを実現していないのだから--言い換えれば、「文」 か 「武」 のどちらかに偏っているのだから--、「文武両道」 は、1つの目標として、努力して実現すべきことのように云われている。そういう言いかたは、単純するぎる。およそ、社会のなかで生活しているのであれば、われわれは、「文武二道」 を当然に実現しているし、そうでなければ、生活できない。
荻生徂徠は、「弁名」 のなかで、以下のように言っている。(参考)
「勇であっても礼がなければ乱となる」 (「論語」 泰伯) (略)
子思が 「中庸」 を作るに至って、知・仁・勇を三つの達徳とし、もっぱら学問の
しかたに用いるものとした。これは一つの方法かもしれない。戦国時代から後は、
文と武は違った術となり、秦・漢から後は、文官と武官は違った職となり、唐・宋
から後は、さらに政治機構の上で違ったものとなった。だから今の世で学問を
する者は、慣れきって それを通常のことと考え、武は文人のすることではないと
思いこむようになり、古代の武の意味は隠れてしまった。そして ついには子思の
言葉に固執し、儒者の勇は もっぱら学問に用いられるものと思っている。これは
一つのことに固執して他の百を見捨てたものである。学問をする者は ここをよく
見るがよい。
(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
179 ページ - 180 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。
(2007年 4月23日)