荻生徂徠は、「答問書」 のなかで、以下のように述べています。
(参考)
とにかく諫に限らず、自分を信じてくれていない人に向かって、道理を説いて聞か
せても何の益もありません。近年の人の、主君を諫めたり、人に忠告をしたりする
のは、大抵は第三者を聞き手にして、自分の立派さを吹聴しようという心が多いよう
です。
徂徠の言 (「大抵は第三者を聞き手にして、自分の立派さを吹聴しようという心が多い」 こと) は、人性 (の弱さ) を見抜いた鋭い観察力を示していますね。
私は、みずからの講演が、こういうふうに、俗に流れてしまうのを、ときとして、感じることがあります。そういうふうに陥ってしまった講演のあとで、私は、言い知れぬ 「虚しさ」 を強烈に感じて、自己嫌悪に陥ってしまいます。
「みんな (聴衆) に役立つために語っている」 という熱意で聴衆を魅了しても、みずからを騙すことはできないでしょうね。否、ときとして、私は、みずからをも騙しているのかもしれない、、、。そもそも、エンジニア が 「芸」 を商品にするから、「虚しさ」 を感じるのかもしれない。
「率直な」 講演とは、みずからが扱いかねている論点 (problems、issues) に対して、論点を どのようにして定立して、ソリューション を どのように考えれば良いかを示して、みずからが戦っている様を、そのまま、聴衆に観てもらうことかもしれない。否、そういうふうに考えること自体、みずから、「視点」 の斬新さを自慢したり、ソリューション の エレガント さに酔ったりする あやうさがあるのかもしれない。そもそも、どれほど酔ってみても、いっぽうで、みずからを 「晒す」 という恥辱を免れない。
「空を指す梢」
そらを 指す
木は かなし
そが ほそき
こずえの 傷 (いた) さ
「落葉」
葉がおちて
足元にころがっている
すこしの力ものこしてもっていない
すこしの嫌味もない
(定本 八木重吉 詩集)
(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
288 ページ。引用した訳文は、中野三敏 氏の訳文である。
(2007年 6月16日)