社会のなかに、今までなかった物を生み出そうとすれば、どうしても、「孤高」 にならざるを得ないのですが--新しい物を生み出した天才たちは、たいがい、「孤高」 の道を歩みましたが--、すでに存在している ことがら を学習するのであれば、同じ志をもった人たちが集まって切磋琢磨する形態が役立つでしょうね。
荻生徂徠は、「答問書」 のなかで、以下のように述べています。(参考)
孔子の門人たちは いずれも直接に孔子に従って学んだのです。そのわけは、その
塾に入学すると、その塾の学風というものがあり、いろいろなことから その学風に
染まって、師の学問の大半が会得できるものです。昔から 「師友」 という言葉が
あります。師の教えに従うのみならず、朋友の間で互いに励ましあって勉強して、
見識を博めて、学問は進むというものです。最近の大名や高位の方々が師について
学問なさっても、それほど はかばかしくいかないのは、それぞれ立派な先生を お呼び
になって学問をなさるのではありますが、高位の方々ゆえ、適当な友人に乏しく、
そのために何の芸能も完成しないのです。これが明らかな証拠というものです。
友人と励ましあい、学風を身につける、これが学問の仕方の第一です。ですから
遠く離れての伝授はできにくいことは、はっきりとしています。(略)
師友の代りになるというのは、書物です。友人を作るのに肝腎なことは、「論語」
にも益友と損友を挙げているように、損友を退けて益友を近づけることです。ですから
読んで損になるような書物は目にもふれないようにするべきです。そして益になる
書物を熱心に お読み下さい。これよりほかに師友の代りになることはありません。
徂徠は、学問を進めるうえで、「師友」 と 「書物 (良書)」 が大切であることを助言しています。それら (「師友」 と 「書物 (良書)」) が学習を進める基本点であることは、いまの時代でも同じでしょう。
「師友」 が大切であることを、私は、数学 (数学基礎論) を 「独学」 したときに、痛切に感じました。「独学」 であったために、学習は遠回りをして、しなくてもいい苦労を、長いあいだ、してしまいました。独学は独学で、それなりの愉しみもあったのですが、もし、できるなら、私は、いまでも、師と仰ぐひとのもとで--私は、師と仰ぐひとを書物でしか知らないのですが、八杉満利子 氏・田中一之 氏 のもとで--、「師友」 といっしょに数学 (数学基礎論) を再学習したい。そうすれば、私の数学学習は、もっと、捗るでしょう。
いま、ふと思い出したのですが、かつて、高田好胤 (こういん) 老師 (第 127代薬師寺管長) は、亀井勝一郎氏の弱点として、亀井勝一郎氏が 「師家」 のもとで修行なさらなかったことを ご指摘なさっていらっしゃいました。亀井勝一郎氏は、いわゆる 「転向」 のあとに、日本の伝統や日本の古典文学に回帰して、かつ、宗教を信じて、信仰・愛・死に関して思考を深め、日本文学史に名を遺した文芸評論家ですが、その俊才にしても、高僧から観て、「師家」 をもたなかったことが弱点として写ったようです。いわんや、われわれ凡人をや。
われわれ凡人が、自惚れて 「一匹狼」 を気取っても、茶番でしかない。
「師友」 と 「書物 (良書)」 を大切にして、学習を進めるほかに、学習の道はないでしょうね。
(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
339 ページ - 340 ページ。引用した訳文は、中野三敏 氏の訳文である。
(2007年 7月16日)