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Poor in life but pure in mind.

 



 モジリアーニ 展 (於 国立新美術館、2008年 3月26日〜2008年 6月 9日) を、5月17日に、「TMの会」 の会員たち (6名) といっしょに観に行きました。
モジリアーニ の実物作品を観るのは、私の記憶では──曖昧な記憶なのですが──、たぶん、20数年ぶりだと思います。

 モジリアーニ は私の好きな画家の一人です──たぶん、一番に好きな画家かもしれない。かれの作品のなかで、私は、「青い目の女」 が一番に好きです。私は、かれの画集 (作品を写真撮りした画集なので、本物に比べて、寸法が小さいのですが) を所蔵していますし、かれの伝記も読みましたし、かれの生涯を作品にした映画 (「モンパルナス の灯」) も観ました──映画では、モジリアーニ を演じた俳優が、(写真で見た モジリアーニ に似ていて、映画であることを忘れて、まるで、) モジリアーニ の ドキュメント を観ているような気持ちになったことを覚えています。

 今回の展覧会では、「青い目の女」 は展示されなかったのですが、「マリー・ローランサン」 や 「ユゲット」 を観ることができて、とても うれしかった。さらに、レイモン・ラディゲ の少年時代のとき (12歳) の肖像が展示されていて、うれしかった──私は、高校生の頃、夭折の天才といわれていた ラディゲ を読んでいたので、モジリアーニ が ラディゲ の肖像を描いていたことに奇遇な感を覚えましたが、そういえば、(ラディゲ を絶賛した) コクトー (詩人) が撮った モジリアーニ の写真が展覧会で供覧されていたのも奇遇な感を覚えました。

 展覧会では、モジリアーニ の作品群は、年代に並べられていて、以下の 4つの時代に区分されていました。

 (1) プリミティヴィスム の発見 (パリ 到着、ポール・アレクサンドル との出会い)
 (2) 実験的段階への移行 (カリアティッド の人物像──前衛画家への道)
 (3) 過渡期の時代 (カリアティッド からの変遷──不特定の人物像から実際の人物の肖像画へ)
 (4) 仮面から トーテム 風の肖像画へ (プリミティヴ な人物画と古典的肖像画との統合)

 モジリアーニ の作品を語るときに、カリアティッド を抜きにして語ることは確かにできないのですが、私は、かれの作品を観ていて、それほど、プリミティヴィスム や カリアティッド を感じない。寧ろ、人物画では、長めの曲線として単純なまで [ 単純な曲線の構成に ] デフォルメ されているにもかかわらず、(実際の人物と思うほどの) 「生々しさ」 を感じるという点が、かれの作品の特徴ではないでしょうか。展覧会では、裸婦画は一点しかなかったのですが、かれの裸婦画は 「官能的」 です──ウェッブで、「Modigliani」 を キーワード にして サーチ すれば、かれの作品群を画像で (小さいですが、、、) 観ることができますので、裸婦画も、ぜひ、鑑賞してみてください (私が、ここで述べた感想を うなずいていただけるでしょう)。かれの人生は、われわれ凡人から観れば、「悲劇的」 だったのですが、かれは、こころの底で、人間に対して絶対な信を置いていたのではないでしょうか。そうでなければ、デフォルメ して、あれほどの 「『生々しい』 肖像」 を描くことはできないでしょう。

 モジリアーニ の作品群を見終わって、展覧会の出口に向かっていたとき、スピノザ の ことば 「人間にとって、人間ほど有益なものはない」 が私の耳に響いていました。そして、作品を観たひとに そういう ことば を呼び起こすことこそ、モジリアーニ の プリミティヴィスム なのかもしれない、、、。

 
 (2008年 5月23日)


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