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We call them happy because they endured. (James 5-11)

 



        どこに私らの幸福があるのだらう
        でいど
        泥土の砂を掘れば掘るほど

        悲しみはいよいよふかく湧いていてくるではないか。
           まんまく
        春は幔幕のかげにゆらゆらとして

        遠く俥にゆすられながら行つてしまつた。

        どこに私らの恋人があるのだらう

        ばうばうとした野原に立つて口笛をふいてみても

        もう永遠に空想の娘らは来やしない。
                    、 、 、 、
        なみだによごれためるとんのづぼんをはいて
           ひようとり
        私は日傭人のやうに歩いてゐる

        ああもう希望もない 名誉もない 未来もない。

        さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが

        野鼠のやうに走つて行つた。

 

               (萩原朔太郎 「底本 青猫」、「野鼠」 から)

 
 (2008年 9月23日)


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