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...when he came close to the house, he heard the music and dancing. (Luke 15-25)

 



 ウィトゲンシュタイン は クラシック 音楽を好んでいましたが、かれが好んだ作曲家は 「古典派」 の作曲家たちであって、「ロマン 派」 の作曲家たちに対して趣 (おもむき) の違いを感じていたようです。たとえば、ウィトゲンシュタイン は、ノート のなかに、以下の意見を綴っています。(参考)

    こう言うことができるであろう。ヴァーグナー と ブラームス は、
    それぞれ違ったやりかたで、ベートーヴェン の真似をした。だが、
    ベートーヴェン の場合に宇宙的であったものが、二人の場合には、
    世俗的になっている。(1949年)

    ブルックナー の第九は、いわば、ベートーヴェン の第九に対する
    反抗だ。そのおかげで、なんとかがまんできる曲になっている。
    もしそれが一種の模倣として書かれたのなら、どうしようもない曲に
    なっていたであろう。(1938年)

    もしも マーラー の音楽が、私が思うように、無価値なものである
    ならば、問題は、マーラー がその才能 (と私が考えるもの) で
    なにをなすべきだったのか、ということである。なぜなら、このような
    まずい音楽をつくるにも、明らかに一連の非常に稀な才能が必要で
    あるのだから。(1948年)

 音楽の領域では、「流派 (スクール)」 は、「バロック → 古典派 → ロマン派」 という変遷を辿ってきました。

 バロック 音楽は、対位法を重視して、旋律の水平的うごきを基本原則にした ポリフォニック な性質ですが、古典派音楽は、調性・楽章配列を重視して、曲想の展開において ソナタ 形式・ロンド 形式を基本原則にした ホモフォニック な性質です。古典派音楽は、ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェン が整えました。
 歴史全体 (政治史など) のなかで古典派音楽を観てみれば、「市民革命」 の時代に起こった音楽です。すなわち、音楽が 「教会」 (あるいは、宗教的理念) から離れて、「芸術」 として独立した地位を作った時代です。

 ロマン 派音楽は、古典派音楽の 「形式」 感を破って、個人の情感を真っ向に打ちだそうとした音楽だと云われています。そして、その特徴は、転調・不協和音の多様な導入として表れています。文学 (詩作) の ロマン 派と合流して ドイツ 歌曲 (リート) が生まれています。この時代の音楽では、小曲 (標題的小作品) において優れた作品が多いようです──たとえば、シューベルト の歌曲集、メンデルスゾーン の無言歌、ショパン の幻想曲・夜想曲など。「標題的」 という点も、ロマン 派音楽の特徴の ひとつにしてもいいのかもしれないですね。あ、そうそう、オペラ が隆盛した点も ロマン 派音楽の特徴かもしれない。

 そして、ロマン 派音楽の殿 (しんがり) が、ヴァーグナー と ブラームス です。ヴァーグナー は後期 ロマン 派のなかで高く聳えた象徴的存在で、ヴァーグネリアン として、ブルックナー、マーラー、ヴォルフ、リヒャルト・シトラウス らがいます。ブラームス は ロマン 派音楽に属しますが、かれの作品は、(11月 1日付の 「反 文芸的断章」 で綴りましたが、) 古典派音楽に近いでしょう (古典主義的性質ですね)。

 以上に まとめた音楽の歴史を鑑みて、ウィトゲンシュタイン が ロマン 派音楽を良しとしないで古典派音楽を好んだ理由の ひとつとして、かれは 「形式」 感を重視していたのかもしれないですね。
 「論考」 を執筆したときの ウィトゲンシュタイン であれば、たぶん、「形式」 感を重視することは想像できるのですが、「探究」 を執筆した頃であれば──ちなみに、上述した かれの 「マーラー評」 は 1948年に綴られていて、ウィトゲンシュタイン が晩年の頃の意見です──、もう少し、ロマン 派音楽を了承しても良さそうだと私は思うのですが、ウィトゲンシュタイン は 「現代」 思想を嫌悪していたのかもしれないですね──特に、マーラー の音楽のように、神経質なほどに絡みついてくるような音楽を嫌っていたのかも。

 もし、ウィトゲンシュタイン が 「浪漫」 的な音楽を好むとしたら、逆説的に響くかもしれないのですが、「個性」 を抹殺した 「総体としての存在感」 を鷲掴みにしたような音楽なのかもしれない。

 
(参考) 「ウィトゲンシュタイン 小事典」 (山本 信・黒崎 宏 編)、87 ページ。

 
 (2008年11月16日)


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