ウィトゲンシュタイン は マーラー の才能を高く評価していましたが、マーラー の音楽を酷評していました (「反文芸的断章」 2008年11月16日参照)。私も (マーラー の音楽をいくども聴いたのですが、) ついには、マーラー の音楽に感応しなかった──私が感応できた かれの作品は、交響曲第一番のみです。
ウィトゲンシュタイン は、シューベルト のことを 「無信仰で憂鬱」 だと評しましたが、私には、マーラー が シューベルト の 「憂鬱さ」 を厭世感にまで拡大して、シューベルト の歌曲を シンフォニー的にしたように思われます。マーラー の作品には、つねに、憂鬱さ・悲観・厭世感が付帯しているように感じるのは、私の思い過ごしかしら、、、。さらに、かれの交響曲が ブルックナー 並みの長大さである点も──私の体調が よほど良いときでなければ、マーラー の交響曲を聴き通すことができないので──、辟易 (へきえき) しています。
マーラー は、交響曲を 11曲作っていますが──未完の交響曲 10番と 「大地の歌」 の 2つをふくめて 11曲としました──、そのなかで 5曲に歌曲 (人声) を入れています。特に、「大地の歌」 は、第 9番目の交響曲にあたるのですが、ベートーヴェン や ブルックナー が交響曲を 9つ作って人生を終えているので、マーラー は、第 9番目の交響曲という 「縁起」 を非常に意識したそうで、第 9番目にあたる交響曲に対して番号を付与することを避けて、「大地の歌」 という題名にして公表したとのこと──「大地の歌」 の正式名は、「大地の歌、テノール と アルト (または、バリトン) と管弦楽のための交響曲」 です。そして、次に、「交響曲第九番」 を作っています (事実上、第 10番目となる交響曲です)。そして、(「交響曲第九番」 の後に着手した) 「交響曲第十番」 を未完のまま他界しました。(「大地の歌」 で縁起を担いで、第 9番目の交響曲を回避したのですが、) やっぱり、「交響曲第九番」 が最後の交響曲になったという次第です。
「大地の歌」 は、六楽章で構成されていて、奇数章 (第一楽章、第三楽章および第五楽章) では テノール の独唱が入り、偶数章 (第二楽章、第四楽章および第六楽章) では アルト (または、バリトン) の独唱が入っています。歌詞は、中国の詩 [ ドイツ 語訳 ] (李太白の詞が多い) を使っています。
マーラー は、歌曲集をふたつ作っています──「さすらいの若者の歌」 と 「亡き児をしのぶ歌」。かれの作品群を一覧して思うのは──「大地の歌」 をはじめとして、交響曲のなかに人声を入れた構成や、歌曲集を編んでいるので──、私のような音楽の シロート の想像にすぎないのですが、かれは、交響曲の作曲家というよりも、寧ろ、歌曲を基底にしていたのではないかしら。ただ、もし、そうだとしても、私は、「大地の歌」 よりも 「マタイ 受難曲」 (J.S. バッハ) のほうが感応できます。たぶん、ウィトゲンシュタイン も そう感じるのではないでしょうか。
マーラー の交響曲第一番を聴いていると、私は、伊藤静雄 氏の詩のなかで、以下の一文を思い起こします。
そんなことは みんなどうでもよいことであった。
ただ巨大なものが徐かに傾いているだけであった。
ブルーノ・ワルター (指揮者、マーラー の弟子) は、交響曲第一番を 「この曲は、マーラー の 『ウェルテル』 だ」 と言ったそうですが、たしかに、この曲を聴いていると、青春のなかで感じる 「言い知れぬ苦悩」 を思い起こされます──第一楽章の 「迷いながらの歩み」 に対比するように第四楽章の 「掻きむしるような苦悩 (あるいは、挫折)」 感は絶品だと思いますし、私は、この曲が大好きです。私は、いま、55歳です。この歳になって交響曲第一番を聴けば、この曲に対して、上述した伊藤静雄 氏の詩が浮かぶような (青春時代に対する) 回想を抱いています。
マーラー は指揮者としても有能だったそうです。指揮者が独立した専門職として地位を確立したのが 19世紀の後半です──ハンス・フォン・ビューロー は、当時の大指揮者だったそうです。ビューロー は、リスト の弟子で、リスト の娘 (コジマ) と結婚しました──ところが、コジマ が ワーグナー に惚れて ワーグナー の妻になって、ビューロー と離婚したのですが、ビューロー は音楽家として、ワーグナー の音楽を高く評価していて、ワーグナー の作品を初演 (たとえば、「トリスタン と イゾルデ」 や 「ニュルンベルク の マイスタージンガー」) しています。指揮者の系譜でいえば、ビューロー の弟子が マーラー で、マーラー の弟子が ワルター で、ワルター の弟子が インバル です。そういう系譜を鑑みれば、ワルター や インバル が マーラー の音楽を得意としている訳が納得できますね。「大地の歌」 を マーラー 自身は聴くことのないまま他界しています。マーラー は、「大地の歌」 を みずから初演しないで、ワルター に初演を任せました──それほどに ワルター を高く評価していたのでしょうね。ワルター は、マーラー の人生について以下のように述べています。(参考 1)
マーラー が考え、話し、読み、作曲したことは すべて根底において
「いずこより、いずこへ、なんのために」 という問題を巡っていた。
マーラー は、ショーペンハウアー の哲学に親しんでいました。ウィトゲンシュタイン も ショーペンハウアー の哲学を親しんでいました。そして、ふたりとも (マーラー も ウィトゲンシュタイン も) ユダヤ 人の血をひいています (ちなみに、ワルター も ユダヤ 系です)。ワルター の マーラー 伝から判断すれば、マーラー は哲学者の性質をもっていたのではないかしら。いっぽうで、マーラー は、作曲家と指揮者をこなして、かつ、(ウィーン 宮廷歌劇場 [ 国立歌劇場 ] の) 音楽監督も務めていた多才な人物 (天才) です。ウィトゲンシュタイン が マーラー について評した 「マーラー がその才能 (と私が考えるもの) で なにをなすべきだったのか、ということである。なぜなら、このような まずい音楽をつくるにも、明らかに一連の非常に稀な才能が必要であるのだから。」 という言は、或る意味では、ウィトゲンシュタイン は、マーラー のなかに哲学者の性質を感じ取っていたのではないかしら。
「大地の歌」 の第六章で、以下の詩が歌われます。まさに、マーラー の思いを歌っているのではないでしょうか。(参考 2)
この世の幸福は わたしには与えられなかった。
わたしがどこへ行くかって?
わたしの孤独な魂に憩いを求めるために、山にさまよい入るのだ。
わたしは故郷を求めてさまよう。
わたしの場所を求めて。
しかし、もう遠くへ行くことはあるまい。
わたしの心は澄み、その時をじっと待っている。
マーラー は、以下のように言っていたそうです。(参考 3)
わたしは、三重の意味で故郷のない人間だ。オーストリア 人の間
では ボヘミア 人として、ドイツ 人の間では オーストリア 人として、
そして、全世界の中では ユダヤ 人として。どこへ行っても招かれ
ざる客で、絶対に歓迎されることはないんだ。
(参考 1) 「主題と変奏」、内垣啓一・渡辺 健 共訳。
(参考 2) および (参考 3) 「クラシック 名曲ものがたり集成」、志鳥栄八郎。
(2008年12月 1日)