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Courage, my daughter! Your faith has made you well. (Matthew 9-22)

 



 三島由紀夫 氏は、かれの著作 「小説家の休暇」 のなかで、以下の文を綴っています。

    どんな道徳も美的判断に還元され、思想のために生きるかに見え
    てもその実おのれの感受性の正確さだけにたよつて生きてきた
    日本人は、永いあひだ、生活の中へ美学を持ち込み、美学の中へ
    生活を持ち込んで括然として来た。

    この感受性はかつて普遍的な方法論を知らず、また、必要とせず、
    感受性それ自らの不断の鍛錬によつて、文化の中核となるべき
    一理念に匹敵する、まことに具体的な或るものに到達した。(略)
    世阿彌がこれを 「花」 と呼んだとき、われわれが花を一理念の
    比喩と解することは妥当ではない。それはまさに目に見えるもの、
    手にふれられるもの、色彩も匂ひもあるもの、つまり 「花」 に
    他ならないのである。

    現代の不可思議な特徴は、感受性よりも、むしろ理性のはうが
    (誤つた理性であらうが)、人を狂信へみちびきやすいことである。

 さすがに、小説家の──しかも、第一級の小説家の──目は、鋭いですね。たぶん、この感受性は、現代の日本人には ひどく減退しているのかもしれない。私は、システム・エンジニア という職に就いているので、仕事では 「logic (論理法則)」 を重視しますが、生活のなかでは、三島由紀夫 氏の言う 「感受性」 を大切にしてきたつもりです──生活のなかで 「感受性」 を大切にしていれば、「感受性」 は、「logic」 を重視する仕事にも 勿論 影響を与えているはずです。三島由紀夫 氏の この文を読んだときに、私は、ウィトゲンシュタイン 氏の哲学も この 「感受性」 に近い性質を帯びていると感じました。

 
 (2008年12月16日)


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