三島由紀夫 氏は、かれの著作 「『われら』 からの遁走」 のなかで、以下の文を綴っています。
では私は何をやつてゐたかといふと、下手な詩を書き、下手な
小説の習作をし、友達と長い文学的書簡をやりとりし、会へば
文学の話ばかりをし、文学書ばかりを読み、蒼白い顔をしてゐた
のである。しかし私は 「文学をやつてゆく」 などといふ大正時代
の文学青年の言葉づかひでは、自分の生活を律してゐなかった。
「文学をやつてゆく」! そのゆたかな、教養主義的な自己形成
と、疑ひのない生活感。それほど当時の私から遠いものはなかった。
来る日も来る日も原稿用紙を書きつぶしてゐることは、時代に対し
て、自分が一個の抽象人、透明人間になるための忍者の訓練
みたいなものだつたと云へるだらう。反時代的精神の隠れ家、
御先真暗な人生の隠れ家......、しかもそこには何ら英雄的なもの
はなく、時代の非適格者たる自分を是認するための最後の隠れ家
として、文学といふものがあつたのだ。
だから戦後、小説家になつて 「文学をやつてゆく」 ことになつた
とき、私の狼狽は甚だしかつた。まして、自分が一時代の一つの
世代の代弁者のやうに扱はれたとき、このありえやうのない誤解に
対して、私の愕きは大きかつた。その渦中をのがれた今になつて、
只一つ云へることは、私はその渦中にあつたときも、決して人が
期待するやうに語り、人が期待するやうに生きたことはなかつた
(ポジティブ な意味においても、ネガティブ な意味においても)、
といふことだけである。
この文のなかで使われている 「文学」 とか 「小説」 を 「モデル (modeling)」 に換えたら、まるで、私の生活を綴ったような文だなあ、、、。
三島由紀夫 氏は、この文のあとに、以下の文を綴っています。
二十年間も小説家でゐながら、自分の書いたものが死や破壊は
おろか、読者に風邪一つ引かせることができなかつたといふこと
に、気づかない人間がゐたとしたら、まづ正真正銘の馬鹿者である。
この文体は、まるで、小林秀雄 氏の文体に似ていますね。
さて、私は、二十数年間、システム・エンジニア をやってきて、さすがに、こういう 「馬鹿者」 にならなかったことを幸いにしています。
(2008年12月23日)