私は、「能楽」 が好きで、「能楽」 の書物を多数読んできました (「能楽」 に関して私が どういう書物を読んできたか は、本 ホームページ 「読書案内」 の 「能・狂言」 を参照されたい)。
「風姿花伝」 を当然ながら読んできましたが、「風姿花伝」 を幾度読んでも私は感銘を感じることが つゆぞなかった、、、。「能」 の演者 (あるいは、もっと広い意味で演劇関係者や文学者) が 「風姿花伝」 を読めば、そこに記 (しる) されている芸術理論に対して感応できるのでしょうが、私のような シロートが読んでも、「こんな単純な論 [ 尤 (もっと) もな概念 ] を どうして 勿体ぶって綴っているのかしら」 としか思わなかった。そう感じた理由は、──私は、徒然草などの古典文学を原文 [ ただし、活字印刷の文 ] で読んきて、「原文」 を現代風に 「解釈」 しないように注意を払ってきたのですが──演劇論に対して、いままで読んできた多量の書物から得た知識を基底にして 「能」 の芸道論を現代風に 「解釈」 してしまう罠に陥っているからでしょうね。
ところが、「風姿花伝」 に感応しなかった私は、「花鏡 (かきょう)」 (世阿弥の作) に対して感嘆しています。「花鏡」 は、「風姿花伝」 に対する 「解説書」 的な性質の著作です。「花鏡」 は、「風姿花伝」 に較べて、「技術」 を具体的に述べている著作です。私は システム・エンジニア を職としているので、テクニック を重視する性質が強いようです──私のそういう性質が、「花鏡」 を好きになる動因になっているのかもしれない。
「風姿花伝」 は、世阿弥が 父 観阿弥の演じた能の特徴を 「花」 に喩えて記 (しる) して、観阿弥の遺風を記録した著作ですが、「花鏡」 は、世阿弥が 四十歳頃から老後に至るまでの修行のなかで体得したことを、芸道の形見として記した著作です。「風姿花伝」 は、世上、有名ですが、「花鏡」 のほうは知らないひとが多いようですね。いちど、「風姿花伝」 以外の世阿弥の著作を読んでみて下さい──「芸道」 という 「語り難い」 所為を (言い換えれば、「風姿花伝」 で記された 「能のありかた」 を)、世阿弥が徹底的に凝視して、相伝の習道論 [ ただし、才能の勝れた者のみへの 「秘伝」 ] として、どういう点を重視して 「能」 を整えたか を追跡することができるでしょう。
(2009年 1月 8日)