三島由紀夫氏の 「文学評論集」 のなかに
(参考)、「団蔵・芸道」 という短い エッセー が収められています。私は、この エッセー が大好きです──というか、この エッセー は、天才と云われた三島氏の作品のなかでは、地味な作品なのですが、私に迫ってくる なにか があって、忘却できない。この エッセー は、歌舞伎俳優 市川団蔵 (八代目) の自殺を通して芸道に関する意見を述べた エッセー です。以下の文で書き始められています。
ちかごろ八代目市川団蔵の死ほど、感動的な死に方はなかった。
「海に消えた ? 巡礼の老優」 などと、六月五日の新聞は、旅路
の果て的 イメージ で、感傷的な見出しで報道してゐたが、かういふ
場合の新聞記者の想像力の貧弱さ凡庸さには、毎度のことながら
恐れ入る。団蔵の死は、強烈、壮烈、そしてその死自体が、雷の
如き批評であつた。批評といふ行為は、安全で高飛車なもののやう
に世間から思はれてゐるが、本当に人の心を博 (う) つのは、ごく
稀ながら、このやうな命を賭けた批評である。
なお、三島氏は、子どもの頃から歌舞伎を観てきて、歌舞伎に詳しい (そして、能楽にも親しんでいて、かれの作品のなかに、「近代能楽集」 という作品もあります)。三島氏は、団蔵の思いを推測して、以下のように綴っています。
...現代一流歌舞伎俳優の、その浅墓 (あさはか) な心事と、おごり
高ぶつた生活態度を、団蔵はじつと我慢して眺めてゐた。そして、
現代では重んじられてゐる俳優たち、世間や取巻きから名優扱ひ
されてゐる連中の、実は低い浅薄な芸風を、団蔵はちやんと見抜い
てゐて、口には出さずに、
「何だ、大きな顔をして、大根どもが」
と思つてゐたにちがひない。
団蔵はもちろんひろい世間は知らなかつたらうが、歌舞伎界の
人情紙のごとき状態と、そこに生きる人間の悲惨を見尽して、この
小天地に世間一般の腐敗の縮図を発見してゐたに相違ない。
歌舞伎の衰退の真因が、歌舞伎俳優の下らない己惚 (うぬぼ) れ
と、その芸術的精神の衰退と、マンネリズム とにあることを、団蔵は
誰よりもよく透視してゐたのであらう。
この文は、「反 コンピュータ 的断章」 のなかに流用して、コンピュータ 業界の或る領域 (事業過程を対象にした 「分析・設計」 の領域) も同じ状態に陥っていることを綴ってもいいかもしれない。
さて、団蔵を三島氏は、以下の文に綴られているように 「眼高手低」 の役者──すなわち、審美眼はすばらしいが 演技は下手である俳優──とみていました。
団蔵は、いはば眼高手低の人であつた。眼高手低の悲しみと、
批評家の矜持を、心のうち深く隠して、終生を、いやいやながら、
舞台の上に送つた人であつた。四国巡礼の途次、徳島で、団蔵は
記者にかう語つてゐる。
「今は人形のやうな舞台人生から離れ、生れてはじめて人間らしい
自由を得ました」
この言葉は悲しい。何故なら、「人形のやうな舞台人生」 に於て、
彼自身は、人形たることに自足できるほどの天才的俳優ではなかつた
からである。
もちろん彼は、このことをよく知つてゐた。
「役者は目が第一。次が声。私はこんなに目も小さい。声もよくない。
体も小さい。セリフ が流れるやうに言へない。役者としては不適格
です」
といふのが口癖だつたさうである。
本来、役者の自意識といふものは、芸だけに働いてゐればよい
もので、自分の本質に関する自意識は芸の邪魔になることが多い。
団蔵がこれほどよく己れを知つてゐなければ、もつと飛躍した演技
をわがものにすることができたかもしれないのである。
(略)そしてこの偸安 (とうあん) 第一の時代にあつて、彼は本当の
「人間のをはり」 とはいかにあるべきかを、堂々と身を以て示し、
懦夫 (だふ) をして立たしむるやうな死に方をした。(略)
一方、もし彼が名優であつて、その芸術的な高さによつて人々に
有無を言はせぬほどの芸境を保つてゐたら、人生におけるいやな
我慢は、それだけ少なくてすんだであらう、と考へると、芸術と
才能の残酷な関係に思ひ至る。芸は現実を克服するが、それだけ
の芸を持たなかつた団蔵は、「芸」 がなしうるやうなことを 「死」
を以てなしとげた。すなはち現実を克服し、人生を一個の崇高な
ドラマ に変へ、要するに現実を転覆させた。(略)
芸道とは何か ?
それは 「死」 を以てはじめてなしうることを、生きながら
成就する道である、といへよう。
(略) 同時に、芸道には、「いくら本気になつても死なない」
「本当に命を賭けた行為ではない」 といふ後めたさ、卑しさが
伴ふ筈である。現実世界に生きる生身の人間が、ある瞬間に達する
崇高な人間の美しさの極致のやうものは、永久に フィクション で
ある芸道には、決して到達することのできない境地である。(略)
彼はただそれを表現しうるだけである。
なんだか、身につまされて泣きたくなる話です、、、。
(参考) 「三島由紀夫文学論集」、虫明亜呂無 編、講談社、昭和 45年。
(2009年 4月23日)