私は三島文学の ファン ですが、いっぽうで、どうしても かれの理念に同意できない点も感じています。私は、かれの作品のなかに プラトン主義的な匂いを感じていて、この点を どうしても共感できないのです。もし、この点を共感していたら、私は、1970年11月25日の翌日に自殺していなければならなかったでしょうね。「『美の世界』 が存在する」 というふうに考えることが プラトン主義的であると私は思っていないのですが──なぜなら、それは、人工的な 「虚構」 であるとも考えることができるので──、ただ、もし、そういう世界が実存すると考えて、その世界に同化するように 「あるべき形」 を作るのであれば──すなわち、「造形美に充ちた肉体を、造形美を模した美しい言葉と対応」 (三島由紀夫) させるように実践すれば──、明らかに、プラトン主義的であると言っていいでしょう。ただし、かれの場合には、事は もっと錯綜していて、「日本的なもの」 「生と死」 「大義」 などの諸々な観念 (あるいは、条件) が絡んでいます。それは当然と言えば当然であって、かれのような天才ではなくても、ひとりの人間の生活・人生には、様々な条件が関与しているのだから。そして、かれの場合には、これらの 「条件」 が 「要請」 として考えられていた点が特徴でしょうね。では、かれは、これらの条件を どうして 「要請」 とみなしたのか、という理由を要約することは難しいので──そもそも、芸術家の考えかたを単純に言い切れることなどできないので──、かれの作品を読むしかないでしょう。
かれの作品のなかに 「憂国」 があります。この作品は、「こんなのは文学ではない」 とまで文芸評論家たちに酷評された作品ですが、私の大好きな作品です。そして、この作品が大好きであるのならば、私は かれの自決に続いて 「殉死」 しなければならないのでしょうが、私は そうしない。なぜなら、私が 「憂国」 を読んで描いた像は、作者 三島氏が描こうとした像と ズレ ているから。三島氏は、この作品を映画化しています──かれ自身が監督・演出し、主役を演じています。この映画作品は、Youtube にも アップロード されているので観てください。映画では、「舞台」 は能舞台のような簡素な空間で、鏡板には、松の代わりに 「至誠」 という文字が記された たれぎぬ が掲げられていて、その 限られた空間のなかで、たった ふたり が劇を演じています──まるで、現代能のような構成です。
三島氏は、「映画」 について、以下のような意見を綴っています。
(「小説家の休暇」)
私が数年前、フランス の映画監督 アンドレ・カイヤット と議論した
のもこの点であった。「美女」 といふとき、ある男は肥つた女を、
ある男は痩せた女を、ある男は背の高い女を、ある男は背の低い女を、
それぞれただちに想像する。小説はかくて、最小限の描写いよつて、
かへつて感覚的想像力を無限にひろげる。映画はしかし、それを限定
してしまふ。映画には即物的に、一人の一定の女が登場するにすぎぬ。
芝居のやうに扮装や、照明や、観客との距離などによつて、想像力の
余地をのこすことをしない。映画は イメージ を限定して、おしつける。
だから小説の映画化には、根本的な矛盾があると云つたのだが、
カイヤット は承服しなかつた。
私は今でもこの理論を撤回する気持はさらさらない。(略)
「映画」 について三島氏が述べた意見が、まさに、そのまま、かれの製作した映画と私が読んだ作品とのあいだで起こっている現象です。「憂国」 の テーマ は、たぶん、「愛と死」 だと思うのですが、「死と向き合った愛の情念 (凄烈さ)」 を私は共感しますが、「死の動因になった大義」には──この点こそが三島氏の ほんとうに訴えたいことなのでしょうが──私は後退りをしてしまいます。そして、映画のなかで念入りに (しつこいくらい ?) 撮影されている切腹の場面には──たぶん、三島氏は、切腹において、いかなる観念的な想像も排除したかったのでしょうが──、私は眼をそむけました。ひょっとしたら、私は、「憂国」 を 「曽根崎心中」 (あるいは、「(シュトルム の) みずうみ」) と同じように読んでいるのかもしれない。すなわち、「死に至る極限の愛」 の 「大義」 を 「愛 (あるいは、美)」 そのもの-のなかに観ていて、「愛」 を極限の純度に置くための なんらかの試金石を排除しているのかもしれない。その意味では、私のほうが浪漫的・耽美的なのかもしれない。もし、私のそういう読みかたを観念的というのであれば、私の感性は、三島由紀夫氏の文学よりも川端康成氏の文学にほうに惹かれているのかもしれない。
(2009年 5月 8日)