「反文芸的断章」 (2009年 1月23日付) で以下の文を引用しました。 感情の中にも思想の中にも安住できない人間が、幸福になる方法 は、おそらく表現することだけで、(以下、略) (三島由紀夫、「裸体と衣裳」 から) もし、そうであるならば、「表現したい」 意欲が強いにもかかわらず、表現する術 (すべ) を持っていない、という状態ほど 「惨めな・慚愧な」 状態はない。 そして、その状態が今の私の状態であることを私は認めざるを得ない、、、。 齢 (よわい) 55 にして、私には、今はもう、悔恨・不満・暗澹・悲憤・虚無感しかない理由は、モラトリアム な人生の結末なのかもしれない。みずからの理想から遠ざかり、通俗的成功も収めることもできず、座したまま うなだれるしかない人生の種 (たね) は、勿論、私の性質に宿っていたとしか言いようがない。 (2009年 5月16日)
感情の中にも思想の中にも安住できない人間が、幸福になる方法 は、おそらく表現することだけで、(以下、略) (三島由紀夫、「裸体と衣裳」 から)
もし、そうであるならば、「表現したい」 意欲が強いにもかかわらず、表現する術 (すべ) を持っていない、という状態ほど 「惨めな・慚愧な」 状態はない。 そして、その状態が今の私の状態であることを私は認めざるを得ない、、、。 齢 (よわい) 55 にして、私には、今はもう、悔恨・不満・暗澹・悲憤・虚無感しかない理由は、モラトリアム な人生の結末なのかもしれない。みずからの理想から遠ざかり、通俗的成功も収めることもできず、座したまま うなだれるしかない人生の種 (たね) は、勿論、私の性質に宿っていたとしか言いようがない。
(2009年 5月16日)