「人生と芸術との関係」 を考えるときに、色々な テーマ を立てることができるのですが、「(芸術の) 技術」 という観点から考えてみると、芸術家たるためには人生の愉しみを犠牲にしなければならないという パラドックス があるようです。芸術家は人生を鋭く描くように思われていますが、どうも、それは有り得ないように私には思われます。たとえば、音楽家は三歳くらいから、「能」 役者は七歳くらいから技術を学び始めて、それ以後 生涯に亘 (わた) って、技術を練習し続けて、かつ、精神を鍛錬しなければならない道を歩みます。練習を怠ければ、プロフェッショナル として立てない。
三島由紀夫氏 は、かれの著作 「若き サムライ のために」 のなかで、以下の文を綴っています (「人生について」 の章)。
われわれは、小説家から人生を学んでいるような錯覚におちいって
いるが、小説家の人生は貧弱なもので、広い世の中には、豊富な
人生を生きた人はたくさんいる。また、その豊富な人生を生きた
人の百分の一の人が、自分の人生を記録したいという欲望を持つ
であろう。ところが、記録そのものにも才能がいり、技術がいり、
あらゆる スポーツ や技術と同じように、長い修練の過程がいる。
修練をしていては、人生を楽しめない。また、冒険のただ中に記録
の才能を訓練することはできない。そこで、人々が、自分の人生を
記録しよう、それを世にもおもしろい物語として、後世に残そうと
思うときは、たいていおそいのである。
音楽や 「能」 の場合は、子どもの頃に──たとえば、三歳・七歳の頃に──みずからの意志で音楽家・「能」 役者になりたいと思うことはないでしょうから、親が子どもに 「習い事」 として習わせるのが始まりでしょうね。そして、技術の練習を途中で止めないで、かつ、いくらかの才能のある子どもが、10歳代の後半くらいに、プロフェッショナル として立つかどうか判断するのでしょう。どのような職業に就きたいかという希望は、たいがい、高校生くらいのときに──すなわち、自我が目覚めて、社会に関して 或る程度の知識を持ち始める頃に──出てくるようです。みずから考えるという ちから が出てくるのが高校生くらいのときなので、たとえ、音楽の技術や 「能」 の技術を小さいときから修練していても、音楽家・「能」 役者になろうという判断は、そのときまで後送りになるのではないでしょうか。
作文技術においても、「おとなの」 文を綴る ちから が出てくるのは高校生の頃であって、その頃に、もし巧みな文を綴る才能があれば、小説家になりたいという願望も出てくるようです。音楽の技術や 「能」 の技術は三歳・七歳の頃から始めなければならないのですが、文を綴る技術は──文そのもののしくみを理解できるようになって、様々な文を多量に読めるようになるのが高校生の頃なので──(さすがに、三歳から作文技術を学ばなければならないということはないので、) 高校生の頃になって文を多量に綴って 「小説ごとき物」 を書き出すようです。技術の練習という点では、小説家は、音楽家・「能」 役者ほどの負担を免れているでしょう。いずれにしても、芸道では、技術の練習に多大な年月を費やすことになります。そして、練習を多量に積んでも、かならずしも、一流の芸術家になれる訳ではないので、もし、音楽家・「能」 役者・小説家を職業に選んだら、みずからの人生そのものを賭けた 「博打」 になるでしょうね。
芸道を職業として選んだ人たちのすべてが一流の芸術家になれる訳はないのですが、なんとか生活していけるほどの収入を稼ぐことができれば、みずからの人生を賭けて選んだ道は 「俗 (すか)」 を食うことにはならなかったと思っていいでしょうね。「才能の有る無し」 ということが芸術では勝負点であると云われていますが、「才能のない」 芸術家など存在しないのであって、「一流 (第一級) か、そうでないか」 という クラス しかないと私は思っています。いずれにしても、芸術家は、作品が つねに評に晒されて──しかも、その評は、文芸評論家たちの評のほかに、不特定多数の大衆が下す評があって──、「実体のない」 数々の評価を浴びて生きていなければならない。しかも、芸術家は、芸術家たるために みずからの人生の多くを技術の鍛錬に費やしていながら、社会のなかで 「無用の用」 として立っているという パラドックス 的存在です。
確固たる技術の産物が 「実体のない」 数々の評を浴びて 「無用の用」 として立つ パラドックス 的存在という構成要件こそ 芸術家を プロフェッショナル にしているのですが、「芸術愛好家」 は、これらの要件を免れているかぎりにおいて、芸術家ではない。この点こそ、「芸術愛好家」 としての私の嘆きであり、そして、芸術家に対する私の嫉妬です。
(2009年 6月 1日)