三島由紀夫氏 は、かれの著作 「若き サムライ のために」 のなかで、「肉体」 について以下の文を綴っています。
日本人は (略) 輪郭よりも雰囲気によって興奮してきた国民
なのである。このような民族性と文化の上で、谷崎潤一郎氏の
文学が、肉体崇拝の西欧的な伝統に始まりながら、ついには
「蘆刈」 のような、古い日本の着物の衣の重みの中に込められた、
ほのかな陰影に満ちた女体の美しさへと傾斜していったことは、
実に日本人的な変化であり、また日本の伝統へのやむことを得ざ
る回帰の姿であったとも言えよう。
宮本武蔵がどういう肉体をしていたかは想像することもできない。
彼はただ、異常に深い精神的探求の中から生まれた哲学者として
の一面と、また武道家としての超人間的な技術との結合体として
見られているだけである。その間に介在した彼の肉体はないも
同然と考えられていたのである。
これからますます テレビジョン が発達し、人間像の伝達が目に
見えるもので一瞬にして キャッチ され、それによって価値が
占われるような時代になると、大統領でさえ整形手術をしたり、
テレビ の メーキャップ にうき身をやつすようになる。これは
アメリカ の肉体主義の当然の帰結であるが、好むと好まざると
にかかわらず、目に見える印象でそのすべての人間の バリュー
がきめられてゆくような社会は、当然に肉体主義におちいって
ゆかざるを得ないのである。私は、このような肉体主義は プラ
トニズム の堕落であると思う。
われわれは、いま二つの文化の極端な型のまん中に立っている。
われわれの心の中には、日本的な、肉体を侮蔑する精神主義が
残っていると同時に、一方では、アメリカ から輸入された あさは
かな肉体主義が広がっている。そして、人間を判断するのに、その
どちらで判断していいか、人々はいつも迷っている。私はやはり
男といえども完全な肉体を持つことによって精神を高め、精神の
の完全性を目ざすことによって肉体も高めなければならないという
考えに到達するのが自然ではないかと思う。
そして、肉体が人に誤解されやすい最大の理由は、肉体美という
ものはどうしても官能美と離れることができないからであり、それ
こそは人間の宿命であるのみならず、人間が考える美というものの
宿命だからであろう。
三島氏が body-building をやっていたことは知られていますが、私は、ここで、引用した かれの文と かれの body-building と
の関係を述べるつもりはないのであって、「官能美としての肉体」 を考えてみたいのです。ギリシア 的な健康的肉体 (および、「自然」) を日本の風土のなかに移植した かれの小説が 「潮騒」 でしょうね。かれ自身の説明によれば、「潮騒」 で描こうとした 「自然」 は、「共同体意識に裏附けられた唯心論的自然」 であったけれど、出来栄えは、「共同体内部の人の見た自然ではない。私の孤独な観照の生んだ自然にすぎぬ」 とのこと (「小説家の休暇」)。
さて、健康的な肉体美が そのまま 「官能美」 として感じられるかどうかは、ひとそれぞれの感じかたに依存するので、一概には言えないでしょうね。ダビデ 像・ミロ の ヴィーナス 像を観て、セクシー と感じるかどうか、、、そう感じるひともいれば、そうでないひともいるでしょう。では、ロダン 作の 「接吻」 は、どうでしょう。この像に対して私は確実に 「官能美」 を感じます。では、ボッテチェリ 作 の 「ヴィーナス の誕生」 の絵は、どうでしょう。やはり、私は確実に 「官能美」 を感じます。三島氏は、肉体美が官能美と離れることができない理由が 「人間が考える美」 の宿命であると謂っていますので、ボッテチェリ (1445-1510) や ロダン (1840-1917) が構成した 「美」 を──「肉体を描いた」 美を──、現代の私も感応できる──しかも、「官能美」 として感応する──というのは、いったい、どういうような必然性・客観性があるのかしら。私が言いたいのは、個人的・主観的に作られた作品が、必然的・客観的に伝達されるという点なのです。そして、そこには、社会的 (あるいは、時代的) な制約・束縛が、どのくらい関与するのかという点なのです。言い換えれば、500年前・100年前に作られた 「肉体美」 を どうして現代の私が感応するのか (あるいは、感応できるのか) という点です。勿論、裸体に興奮するというような意味ではない。もし、裸体そのものに興奮するのであれば、ダビデ 像・ミロ の ヴィーナス像にも、私は必然的・客観的に興奮するはずですが、そうではないという点が妙なのです。
「プラトン 名著集」(参考) のなかで 「カルミデス」 が最初に収められていますが、ソクラテス が軍営から帰ってきて、タウレアス の コロシアム に足を運んで知りあいの人たちと会話する場面から記述が始まっています。ソクラテス は、以下のように言います。
知を求めるこころは現状ではどうなっているかということをです。
それに若者たちについては、知恵か美しさにおいて傑出した者が、
あるいはその両方を兼ねそなえた者が出現しているかどうかと
いうことをです。
本編は、「思慮」 についての対話が記述されているのですが、ソクラテス の対話相手に選ばれているのが カルミデス という若者 (15歳くらい) と クリチアス (30歳くらい) です。私は、ここで、本編の テーマ である 「思慮」 について要約するつもりはないのであって、私の興味点は、ソクラテス が若者を観るときに 「知恵か美しさ (あるいは、その両方) を兼ねそなえた」 状態を指向している点です──本編が 「知を求める」 ことを テーマ にしているので、「美しさ」 のみ というのは論外になるかもしれないですね。「知恵と美しさ」 という兼掌が ギリシア 的性質なのかどうかを私はわからないのですが、少なくとも、ソクラテス では その兼掌は理想とされていたし、三島由紀夫氏でも そうでしょうね。ただし、ソクラテス の場合には、かれは哲学者であったので、肉体に束縛されない 「不変な魂」 が信じられていますが。
若者たちにおいて 「知恵と美しさ」 (知恵および美しさ) が理想とされたときに、若者が年をとれば──老いれば──「美しさ」 は、いずれ朽ち果てるでしょう。そのときに、「知恵か美しさ」 (知恵あるいは美しさ) という選言 (「あるいは」) が意味をもってくるのかもしれない──勿論、「知恵のほうが長らえる」 という意味で。ソクラテス は、「カルミデス」 では 40歳くらいでした。でも、その 「知恵」 も老年になったときに、果たして、若い頃のように鋭い作用として継続するのかと問えば、鈍くなるとしか言えないでしょうね。「知恵も美しさも喪われた」 状態を 「老醜」 というのかもしれない。
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに (小野小町)
私の返歌──私は歌を作るほどの才能がないので、借用して──、
験 (しるし) なき物を思はずは一坏 (ひとつき) の
濁れる酒を飲むべくあるらし (大伴旅人)
(参考)
「プラトン 名著集」、田中美知太郎 編、新潮社、昭和 38年。
「カルミデス」 は、松永雄二 氏の訳。
(追伸)
本 エッセー を記したあとで、私は、テレビ 番組の 「懐かしの歌謡曲」 を思い起こしました。歌手たちの若い頃の ヒット 曲を かれらが老齢になって歌っていて、私は しばらく観ていたのですが、かれらに対して痛々しさを感じて テレビ を消しました。かれらは、もう、声の量・質を喪っていた──若い頃のような声量もないし、高音も出ないし、ひどい場合には、原曲を崩して歌って 誤魔化していました。こういう歌いかたは、プロ の歌いかたでは もう ない。間にあわせな歌を聴いて、昔を懐かしむほどの雅量は私にはない──それらの歌を CD で当時の状態のまま聴いているほうが私の精神にとって爽やかです。
(2009年 7月16日)