三島由紀夫氏 は、かれの著作 「若き サムライ のために」 のなかで、「服装」 について以下の文を綴っています。
日本人は、わりに便利ということに弱い国民である。明治時代の西洋
崇拝から、日本人は不便の故を以て伝統的な服装を放棄することに、
何らの躊躇 (ちゅうちょ) を感じなかった。
男もまた着物を着るということの、自然な風俗的な親しみは忘れられて、
いかにも時代に反抗し、あるいは時代に先がけるような、いわばわざ
とらしい態度で着物を着ているのである。ごく一部の特殊な職業人、
お茶や、能楽関係や、歌舞伎関係の人たちの着物風俗だけが、一種の
特殊な職業の ユニホーム として、身についたものになっている。
それを着なければならないということから着るところに、まずその着方
の巧拙、あるいは着こなしの上手下手があらわれる。
風俗は、規律と、けじめと、社会的強制と、道徳をすら意味していた。
そうかと言ってわれわれは、日本の礼儀正しい正統的な着物の着方
で、日常生活を律し切ることもできない。当然そこに二重生活が生じて、
着物は洋服道楽に飽きた人たちの、贅沢な セカンド・カー のような
ものになってしまった。
着物はもともと階級と、それに伴う経済的な能力の上下によって、
たいへん高低のあるものであった。
タキシード を着なければならない人たちは、決して G パンをはくこと
ができなかった。また菜葉 (なつぱ) 服を着ていた人たちは、決して
タキシード を着ることができなかった。それをわれわれは、無階級社会
のおかげで、菜葉服から タキシード まで自由自在に往来できる世の中
に住んでいる。そしてある一夜、あるひとときを、イブニング や カクテル
ドレス の女性と腕を組んで、昔の上流階級が味わったような快楽を、
昔の上流階級が遊んだような場所で、多少の金を払えば味わえるよう
な仕組になっているのは、いまの日本であり、また アメリカ である。
しかし悲しいかな、その周りにいる人たちは、いずれも贋物 (にせもの)
の上流階級にすぎない。そして タキシード と イブニング で楽しんで
いる人たちは、本物の上流階級でないかわりに、上流階級が苦しんで
いた古い、わずらわしい、封建的桎梏 (しつこく) をも、完全に免れ
ているのである。
私は、(最近、着る機会が ほとんどなくなったのですが、) 以前、家にいるときに着物をきていました。着物は デニム 生地 (濃い青色) の安価な物 [ 20,000円 ] で、五着持っていて、「着流し」風に着て、帯は兵児帯ではなくて幅のせまい紺色の略式な物を着用していました。拙宅の周囲であれば、着物で外出していました。たまに、都内に──拙宅は埼玉県にあるのですが──、着物をきて出向くこともありました。遠出をするときには、羽織 (明るい青色) を着用していました。大島紬の高級な着物 [ 数十万円 ] も持っていますが、二度しか着たことがない [ ふだんは、デニム 生地のほうを着ています ]。最近は、着物を きないで、作務衣を着ています。
本 エッセー で、「服装」 の作法を述べるつもりはないのであって、私が考えてみたい点は、私が どうして着物をきるのか、という点です──この点を じぶんでも、いままで、考えたことがなかったので。
着物をきて都内に出向くと、たいがい注目を浴びます [ 好奇の目で見られます ]──当初、その視線が嫌だったのですが、もう慣れました。三島由紀夫氏が謂うように、着物をきていると、「いかにも時代に反抗し、あるいは時代に先がけるような、いわばわざとらしい態度で着物を着ている」 というふうに観られていることを私は感じています。ただ、私は、そういう反骨 (あるいは、天の邪鬼) な気持ちで着物をきているのではないのであって、仏像 [ 広隆寺の弥勒菩薩像の複写 ミニチュア、高さ 60pほど ] を買って、日本刀 [ ただし、贋物 (美術刀) 160,000円、織田信長の愛刀 ] を買って、能面 [ 小面、200,000円 ] を買って、趣味が昂じた そういう ムード の延長線上で着物をきはじめた次第です。「洋服道楽に飽きた」 というような他意はない──私は貧乏なので、「洋服道楽」 をするような余裕などない。仏像・日本刀・能面を買う余裕があるではないかと反論されそうですが、貧乏にもかかわらず、趣味が昂じて そういう品を買うので さらに窮乏に陥った次第です (苦笑)。
西洋化した現代の日本の生活では、着物を着れば、着流しと謂えども、気持ちが シャキッするのは確かです。着流しと謂えども、或る程度、身がまえをしていないと、着物はだらしなく崩れてしまいます。そのために、私は、フニャフニャ した生活態度が続いたときに、気分転換として着物をきるようです。つまり、精神が だらけたときに、わざと わずらわしい やりかた を導入する、ということです。昔の人たちにとっては、着流しは、正式な着付けに比べて、自然な態だったのでしょうが、現代では、着流しでも束縛を感じるようです。
ちなみに、私が着流しとして着用している着物の生地は、さきほど デニム 生地と記したように、G パン の生地と同じです。昔の日本では着物は階級を示していたし、西洋でも、タキシード を着なければならない人は G パン を穿 (は) かなかったのですが、現代日本の無階級社会では、G パン 生地で着物を作っても 「婆娑羅 (ばさら)」 [ 遠慮なく振る舞うという意味、狼藉 ] にはならないという時代です──尤も、現代では、着物をきることそのものが 「婆娑羅」 [ 派手に みえをはる、という意味 ] かもしれないのですが、、、。
着物を まいにち きるのは、現代社会で育った私には、やっぱり、窮屈です。でも、じぶんの精神が だらけたときに歯止めをかけるために着物をきることを私は自ら望んでいるようです。着物をきながら、モーツァルト を聴いている様は、奇怪 (おか) しな外観だなあと思うときもありますが、、、。
(2009年 8月16日)