三島由紀夫氏 は、かれの著作 「若き サムライ のために」 のなかで、「お茶漬 ナショナリズム」 という エッセー を綴っています。その エッセー を読んで、私が下線を記した いくつかの文について、感想を認 (したた) めてみようと思います。私が下線を引いた文は、以下のとおり。
大体、ものごとの比較は、多少とも競争の可能性のあるところから
行われるのであって、2DK の アパート 住いの人間が、建坪二百坪と
いうような超 モダン の大邸宅へ行ってみても、デパート や ホテル
へ行ったのと同じことで、大きいのが当り前、別にわが家と比較する
気も起きないばかりか、手をのばせば何にでもとどくわが家のほうが
万事快適だと思うだけである。(略)
その結果、日本の古典などろくすっぽ読んだこともない大 インテリ
が、日本の オピニオン・リーダー になったのである。
お茶漬ばかりは思想を斟酌しないとみえて、外国へ一歩出たら、進歩
的文化人も反動政治家も、仲好くお茶漬 ノスタルジー のとりこに
なってしまう。
大体、食生活ぐらい変革のむずかしいものはなく、日本がこの先どれ
だけ工業化されても、米の飯と縁を切るのは困難だろう。(略) 日本
の米の飯の粘着度と、独特の照りと、それに対する愛着とは、全然
日本独特のものである。
日本、日本人、日本文化、というものは、そんなにわかりにくいもの
だろうか? 日本の国内にいては、そんなにその有難味を知りにくい
ものだろうか? どうしても一歩国外へ出てみなくては、つかめない
ものなのだろうか? あるいは日本人は、そんなにも贅沢になって
しまって、自分の持っているものの値打を、遠くからでなくては
気づかなくなってしまったのであろうか?
これは多分、文明開化の病状の一つというか、明治の文明開化の
後遺症みたいなものだと思われる。
そのテレビも電気冷蔵庫も、「源氏物語」 に製法が伝授されている
わけじゃない。(略) 今の日本の大威張りの根拠は、みんな西洋
発明品のおかげである。(略) あの戦争が日本刀だけで戦ったの
なら威張れるけれども、みんな西洋の発明品で、西洋相手に戦った
のである。
問題をそんな風に大きくしないで、ただ、
「お茶漬は実にうまいもんだ」
とだけ言ったらどうだろうか?
これだけ精妙繊細な文化的伝統を確立した民族なら、多少野蛮な
ところがなければ、衰亡してしまう。(略) おちょぼ口の PTA 精神
や、青少年保護を名目にした家畜道徳に乗ぜられてはならない。
私にとっては、ごく自然な、理屈の要らない、日本人の感情として、
外地にひるがえる日の丸に感激したわけだが、旗なんてものは、
もともと ロマンチック な心情を鼓吹するようにできていて、あれが
一枚板なら風情がないが、ちぎれんばかりに風にはためくから、
胸を搏つのである。
ところが、こんな話をすると、みんな ニヤリ として、なかには私を
あわれむような目付をする奴がいる。厄介なことに日本の インテリ
は、一切単純な心情を人に見せてはならぬことになっている。しかし、
つらつら考えるのに、私の 「日の丸 ノスタルジー」 と 「お茶漬
ナショナリズム」 と、どちらが国際性があるであろうか?
自分の国の国旗に感動する性質は、どこの国の人間だってもって
いる筈の心情であるが、お茶漬の味のほうは、それだけの同感が
得られるかどうか疑わしい。世界の民族で、こんなに淡泊な、妙な
シャブシャブ したものを、美味しがる国民は、おそらく日本人だけ
であり、それぞれ自分の故郷のお国料理に ノスタルジー はあるに
しても、たとえば ギリシャ 人が、ムーサカ を食べないでいたら
発狂してしまう、というほどのことはなさそうである。
私の言いたいことは、口に日本文化や日本的伝統を軽蔑しながら、
お茶漬の味とは縁の切れない、そういう中途半端な日本人はもう
沢山だということであり、日本の未来の若者にのぞむことは ハン
バーガー を パク つきながら、日本の ユニーク な精神的価値を、
おのれの誇りとしてくれることである。
三島氏は、エッセー の書き出しを 「新帰朝者」 という概念ではじめています。かれは、「こんな二六時中、満員の ジェット 機が羽田から発着している世の中に、『新帰朝者』 などという明治風の言葉が、もう通用いないだろうと思うと、そうでもなさそうである」 という文で エッセー を書き出しています。そして、「数ヶ月外国へ行ってきただけで、人格が一変してしまう人もかなり多い」 と述べて、「新帰朝者」 の態度が、「日本は貧しい派」 から 「やっぱり日本は大したもんだ派」 に移ってきていることを指摘しています。明治時代の新帰朝者の心境を推測した文が、上に引用した一番目の文です。そして、(明治時代の新帰朝者たちの) 「プライド はもっぱら非物質的なもの、日本人および日本文化の精神的価値に置いていた。しかし目に見えないものはなかなか理解されないから、目に見える部分は文明開化を装い、忠実に西洋を コピー していた」、と。
そして、「そのうちに、文明開化は心の中にまで滲透してきて、日本文化の精神的価値さえ見失われ、西洋の魂をわが魂としようとする埋没組が、インテリ 新帰朝者の大半を占めた」 と述べて、上に引用した二番目の文 「日本の古典を読んだこともない インテリ が日本の オピニオン・リーダー になった」 と三島氏は指弾しています。かれは、そういう連中を 「お茶漬 ナショナリズム」 に陥った輩として揶揄しています。このくらいの批評であれば、三島氏の天才を待つまでもなくて、ほとんど多くの人たちが抱いている意見でしょう。「西洋を コピー した埋没組」 の日本人に対して、英語では、「a banana」 という侮蔑的な スラング があります──すなわち、「外見は黄色が、中身は白い」 ということ。
私が米国を訪れたのは 30歳すぎの頃──今から 25年くらい前──で、米国の街・生活・文化を直接に観て 「カルチャー・ショック」 を覚えました。当時、米国を訪れることは、(昭和初期の海外渡航に比べて珍しいことではなかったのですが、それでも) 今のように簡単に訪れることができる訳でもなかった。そして、私は、その後、三島氏が指弾した 「新帰朝者」 の態度に陥ったこともありました──しかし、米国人から観れば、米国の やりかた を真似ている私は日本人であって、いっぽうで、日本人から観れば、米国かぶれした私は 「自我の強い [ 協調性の欠如した ] 鼻持ちならない奴 (comes on strong)」 であって、日本人の グループ のなかで浮いていました (out of place, not belong to)。
当時の私の上司 (社長、ビル・トッテン氏) は米国人でしたが、幸い、かれは日本文化を愛し、(当時、日本が経済力を強めて、日本の自動車・家電製品が米国の マーケット に進出しはじめた頃で、日本経済が バブル絶頂期にあって米国 マンハッタン の土地を買い漁り、米国では、いわゆる 「日本 バッシング」 が起こった頃で、) かれは 「日本が米国の真似をやめて、日本文化を もっと大切にすればいい」 と訴えていました。日本人のなかには、かれの言説に対して、「米国人が日本に来て ビジネス をやっているので、その立場を利用して、日本人にウケることを狙っているにすぎない」 という邪推をした人たちもいましたが、私は、かれの側 (そば) で 7年間仕事をしてきて──私は、社長室に所属していました──、かれが本意で そう謂っていたことを直に観てきましたし、かれは日本国籍を取得しました──かれを非難した人たちは、かれの覚悟ほどの真摯さを持っているのかしら。私が反吐の出るくらい嫌悪するのは、そういう連中の 「(当事者意識を欠如した、そして、事態の外側に立って物事を見透かしているというような) 驕慢さ」 で批評する惚 (とぼ) けた態度です [ ちなみに、こういう 惚けた態度は、テレビ に出ている コメンテータ と云われている連中にも観られます ]。そして、そういう態度を三島氏は指弾しているのでしょう。
(2009年 9月 8日)