ただ、かれは文学者として新聞雑誌を非難しているのではなくて、文学者にとっての新聞雑誌の ありかた を問うています──そして、実は、この点が、本題で述べようとしている 「広津和郎氏へ」 の前振りになっています。広津氏が 「文士の生活を嗤 （わら） う」 という エッセー を綴って、出版屋の横暴に対する文士団結の無力を怒っていることに対して、小林氏が反論するのですが、その反論の前振りで以下の文が綴られています。

　　　　今日の読書階級を動かしているものは、書籍ではない。新聞雑誌
　　　　である。だからと言って新聞雑誌を罵倒 （ばとう） する理由もない。
　　　　ジャアナリズム が文学上に齎 （もたら） す害毒、今更、そんな事
　　　　を言っても始まるまい。文士の ジャアナリズム に対する愚痴という
　　　　事になれば、源は遠く百年の昔、名批評家 サント・ヴウヴ まで
　　　　遡 （さかのぼ） る。してみれば、近代作家は皆 ジャアナリズム
　　　　と戦って来た。戦って来たという事は、また御蔭を蒙 （こうむ）って
　　　　来たという事だ。ゾラ も バルザック も ジャアナリズム の子供で
　　　　ある。しかも健康な子供である。それにしても、私は夏期特輯を
　　　　通読して眼がくらんだ一読者として言って置きたい。

　　　　七十銭出せば、現代の装飾が上から下まで解る。これは大変当世
　　　　風なからくりに相違ないが、私には、こういう大雑誌の編輯機構は、
　　　　凡 （およ） そ現代において伝奇的に古風にみえる。纏 （まと） い
　　　　付けた衣裳の重みで身動きも出来ない。豪奢な意匠を凝らして
　　　　速力と合理化とを宣伝しなければならぬとは妙な事だ。夏期特輯
　　　　を全部読めるものは、私みたいに退屈している男以外には一人も
　　　　いはしない。これは確実な事である。こんなくだらない事が確実
　　　　なようでは、大雑誌の命脈も知れている。

　小林秀雄氏の文体は、テーマ を鷲掴みにして、一見、そのまま ストレート に返球してくるような 「ぶっきらぼう」 な感があるので、上に引用した文も、「広津和郎氏へ」 を綴る前に、大冊になった雑誌への個人的な苦言のように響くのですが、上の引用文を丁寧に読んでみると 「広津和郎氏へ」 で展開する反論の前振りとして、「近代作家は皆 ジャアナリズム と戦って来た。戦って来たという事は、また御蔭を蒙って来たという事だ。ゾラ も バルザック も ジャアナリズム の子供である。しかも健康な子供である」 という 「前提」 を周到に置いています──そして、ここでの キーワード は 「健康な」 という語でしょうね。小林氏は、用意周到に論を構成しています。

　小林秀雄氏の 「アシル と亀の子」 が綴られたのは昭和 5年 （1930年） です。かれは、当時の 「綜合雑誌」 を──「様々な意匠」 を てんこ盛りにした雑誌を──「衣裳の重みで身動きも出来ない」 状態であって、暇人しか読めないので、命脈も知れている、と断言しています。その 80年後に生きている私が、「綜合雑誌」 の辿った没落を ここで まとめるつもりはないのですが、いわゆる 「綜合」 という状態──すなわち、本来であれば、個々を統合して一つの構成物となるはずの物が、ただ単に一揃え並べられているという陳列窓になってしまった状態──が、いったい、われわれ読者にとって どういう価値として存在するのかを疑問に思っているということを記しておきます。

　「綜合雑誌」 に記載された 「様々な意匠」 を知ることが 「知識人 （あるいは、教養あるひと）」 だとしたら、私は、「知識人」 というのは呑気な人たち──あるいは、小林氏が 「広津和郎氏へ」 のなかで使った語を借りれば、「なまけものの階級」──だと蔑 （さげす） むしかない。

　萩原朔太郎も荻生徂徠も、自らを 「怠け者」 と自嘲していましたが、かれらの謂う 「怠け者」 というのは、実生活の生産活動に従事しないで、ひたすら、文芸に向かったことを云っていて、自負の ウラ 返しです。かれらは生涯を費やして、文芸に向かった。いっぽうで、実生活の生産活動に従事して、「綜合雑誌」 を読んで、文芸で話題になっている概念を一通りに知って文芸をわかったつもりになっている 「知識人」 は、朔太郎・徂徠の謂う 「怠け者」 とはちがう ナマケモノ でしょう──いわゆる 「文学愛好家」 のなかに、こういう ナマケモノ が多いようです。そして、やっかいなことに、批評を職業にしている人たちのなかにも、そういう連中が多い。さらに、作家であっても、そういう罠に落ちることがあるようです──小林氏が 「広津和郎氏へ」 のなかで糾弾したのは、まさに、その罠です [ ちなみに、広津氏は、当初、批評家として デビュー して、作家に転向しました （小林氏が 「アシル と亀の子」 を綴ったときには、広津氏は作家を職としていました）]。次回、「広津和郎氏へ」 を注釈してみます。

　
　（2010年 1月23日）