小林秀雄氏の 「文学は絵空ごとか」 を読んで、私が なんらかの反応を示した文を以下に拾っておきます。
如何に客観的描かれた小説でも、優れた小説には常に二重の眼
が光っている。作中人物の眼と作者の眼と。この作者の眼を明瞭
に掴むとは人間能力を超えた事かも知れないが、直接肉薄しようと
努めない処に、批評においては、様々な無益な符牒の隆盛を来た
し、鑑賞においては、愛読者根性というものが発生する。
そして、この文体はこの作家の資質の鏡である。
この懐疑派がいつの間にか文学を唯一の事業としなければならな
かった運命に関して洩らされた実感だ。
重要な事は、人々は、人々のそれぞれの生活に即した現実を見て
いるに過ぎないという事、人々は各自の職業習性を離れて決して
現実を眺める事は出来ぬという事である。魚屋は彼の習性に従い、
魚の美しさは知りはしないし、画家は彼の習性に従い、魚の美し
さが魚屋の習性に逃げ込んで、減形し、永遠に再現の機会を失う
事を恐れる。もし魚屋の感覚が画家の感覚に比べて、くもって
いるという理屈が成り立たぬとすれば、魚屋は正 (まさ) しく
必要上その感覚を節約するのだ。一瞬に逃げ去るものを追わぬ
のだ。色の感覚を、認識の本道として尊敬するのは画家という
職業の習性である。現実は夢ではないが、人々は、各人の夢を
現実に織る他はない。(略) 御存じのお方には退屈でしょうが、
なんて小説はない。夢という言葉が嫌いなら、次のように言えば
いい。人間には現実自体を暴露する事は不可能なのであるから、
現実暴露とは現実の諸関係を暴露する事に他ならぬ。小説家の
習性に従って、現実の新しい諸関係を発見し表現する事である。
芸術家というものは、写実する人か構成する人か、誰も知りは
しないのである。ロダン に言わせれば、芸術とは自然の研究以外
の何物でもない。彼らは出来るだけ正確に現実に肉薄しようと
する。この時、文学においては問題を一括するために写実という
言葉が便利であり、造型美術や音楽においては同じ意味で構成
という言葉を使った方が適当であるに過ぎぬであろう。
言葉が社会の発展につれて、ますます厖大 (ぼうだい) な社会
的偏見を孕むようになった十九世紀に至って、言葉を嘘から救助
しようとする熱烈な文学運動が起った。この悲劇的な志は三人の
天才の手から手に伝承されて、最後の一人は、言葉を愛する余り
遂に言葉の表現を見失うに至った。三人とは、ポオ と ボオドレ
エル と マラルメ であったとは人の知るところである。しかるに、
彼らの背後には、以前から小説という一文学形式が、最も健康に
肥大して悠々と流れていた。
小説の隆盛は偏 (ひとえ) に大衆の加護による。では、何故に
大衆は小説に味方したか。それは小説というものが、その根柢に
おいて、言葉の社会性を信用するものであるがためだ。社会的
偏見を肯定してかかるものであるがためだ。詩は詩という独立の
世界を目指すが、小説は人生の意匠と妥協する。この小説の生れ
ながらの大衆性に対して、敢然と叛逆した人物が、小説の開祖
セルヴァンテス であったとは面白い事である。
ポオ と セルヴァンテス は、恐らくは、言葉の嘘に対しては同じ
厭嫌と忿懣とを覚えたのであるが、ポオ は、言葉からその社会性、
通貨性を洗い落とし、言葉の実体化、純粋化に近づき得るという
信念の下に、言葉の嘘から逃れようとしたところを、セルヴァンテス
は、詩的言語の自律性を信用せず、社会とともにある言葉の嘘を
あるがままの嘘として高所より受け容れ、この嘘を逆用する道を
選んだ。彼の時代にあって彼自身無意識のものであったとしても、
この セルヴァンテス の発見した小説の根本理論は今日に至って
も、聊 (いささ) かも傷つかない正統な小説理論であると私は信じ
ている。マラルメ がかつて大衆の手に渡った機会がなかったよう
に、セルヴァンテス もまた大衆の手にあったと同時に、大衆の手を
遙かに飛び去っていた。
セルヴァンテス は言ったのだ、文学は絵空ごとだ、と。
精神とは嘘であり、言葉とは嘘である事を痛烈に知った ジャン・
コクトオ という一つの精神が言う。「私たちは、盲目ではない。
だから、ものを書く馬鹿々々しさははっきり感じている。しかし
私たちは苦しまない、だから私たちは黙っていないのだ」 と。
「文学は絵空ごとか」 は、実は、「文藝春秋」 誌に連載されてきた文芸時評 シリーズ の 「アシル と亀の子」 の一つなのですが、小林氏の言を借りれば、「毎月、『アシル と亀の子』 なんて同じ題をつけているのは芸がないから取りかえろと言われて、なるほどと思い、偶々 (たまたま)、正宗白鳥氏の文芸時評を読んでいたら、文学は畢 (つい) に絵空ごとに過ぎぬという嘆声に出会ったので、今月は、多くを語りたい作品も読まなかったし、ただわけもなくこんな標題をつけてしまった」 そうです。
ちなみに、「アシル と亀の子」 という題について、小林氏の自注に依れば、「アシル は理論であり、亀の子は現実である事に変りはない。アシル は額に汗して、亀の子の位置に関して、その微分係数を知るだけである」 とのこと。
そして、「文学は絵空ごとか」 という凡庸な テーマ を──凡そ、文学の入口に立っている文学青年が気負って言い散らすような、そして、酒でも呑んでいなければ口にするのが気恥ずかしい テーマ を──、文学を職業としている批評家が [ しかも、第一級の批評家が ] 真っ向から取りあげたというのは私には意外に感じられました。この テーマ を選んだ理由について、小林氏は、以下のように述べています──「文学は絵空ごと、とは、正宗氏の今に始まった感慨ではない。機会ある毎に、氏の口を洩れた実感である。他人の実感を兎や角言う事は愚である。私は、この一流作家の感慨に対して、抗言しない。ただ、私が訝るのは、これまで、しばしば洩らされた、この作家のこの感慨に対して、批評家等が誰も尊敬を払わなかったという事である。そっとして置くという事は尊敬する事にはならぬ。私は、文学は絵空ごとか、という題をつけたに際して、氏のこの実感の意味を私なりに考えてみたいと思った。世人が氏に課した冷眼という一概念をでっち上げるために、様々な要素を、我武者羅 (がむしゃら) に結合する事を必要としたと同じ程度に、私は、この概念を様々な要素に分解する事を先ず必要とするらしい。」
さて、私 (佐藤正美) は、小林氏が正宗氏について語ったことを省いて、私自身の琴線に触れた文を上に抜粋引用しました。「反文芸的断章」 において、小林秀雄氏の作品 (初期の文芸論) を継続して対象にしてきていますが、いままでの (小林氏を扱った) 「反文芸的断章」 を読んでいただいた人たちは、今回の かれの引用文を読んで、取り立てて目新しい意見を眼にすることはないでしょうね。上に引用した文は、かれの 「文学観」 のいちぶを まとめた文でしょう。
私は、上に引用した文を読んだとき、三島由紀夫氏も この文を読んで丁寧に分析していたと感じました [ 私の その感じは、確信に近い ]──験 (ため) しに、三島由紀夫氏の 「文学評論集」 を読んでみてください。
「文学は絵空ごとか」 という問いに対して、「いまさら、わかりきったことを [ 当然、絵空ごとである ]」 と言われて相手にされないことは、重々、想像できる反応です──さらに、「青臭いことを」 という貶みまで言われるかもしれない。では、われわれは、「いったい、なにを わかっている」 か。たぶん、画家が魚を見て、その 「美しさ」 を形式化しようと懸命になっている様を側 (そば) で魚屋が見て苦笑している態と同じ反応ではないのか──「絵空ごと」 を 「実生活に関わりのないこと」 くらいの意味でしか判断していないのではないか。そんなことは百も承知のうえで、芸術家は芸術に向かったのであって、それでも、芸術を仕事にしていて、敢えて、「絵空ごとか」 と芸術家が自問せざる [ 苦悩せざる ] を得ない事態というのは、いったい、どういう事態なのか。それを小林氏は テーマ にしています。制作理論で構成された作中人物の眼とはちがう、もうひとつの 「作家の眼」 (生活理論) が作品を構成するに際して観た物を小林氏は争点にしています──そして、これは、作品を批評の対象にしている批評家が近づきがたい過程です。だから、小林氏は、じぶんの やりかた を確認するために、この テーマ に挑んだのでしょう。
「作家の眼」 (生活理論) が作品を構成するに際して観た物は、作品を小説に限って謂うのであれば、「雅」 と 「俗」 との──あるいは、「精神」 と 「肉体」 との、もしくは、「個人」 と 「社会」 との──混然たる状態でしょう。その状態のなかから、作家は、危険物を扱うかのように ピンセット (文体) で 「雅」 を拾う──そして、その 「雅」 が、「絵空ごと」 ではないか、ということ。これは、マラルメ であれ、セルヴァンテス であれ、同じことでしょうね。もし、「構成」 が、小林氏の謂うように、(小説においては) 「写実」 と同義であるならば、「絵空ごと」 は 「実生活と関わりがない」というような単純な話じゃない──「実生活で間が抜けていて、詩では一 (い) っぱし人生が歌えるなどという詩人は、詩人でもなんでもない、詩みたいなものを書く単なる馬鹿だ。」 と言い切った小林氏の ことば を思い起こしてほしい。
小林氏が 「文学は絵空ごとか」 の最後に引用した コクトオ のことば、「ものを書く馬鹿々々しさは はっきり感じている。だから私たちは黙っていないのだ」 のなかで、「だから」 の意味は極めて重大事だと私は思う。「絵空ごと」 に対して真摯に向きあったひとが 「俗」 を愛でる訳がない。
(2010年 2月16日)