小林秀雄氏は、「X への手紙」 のなかで以下の文を綴っています。
たとえ社会が俺という人間を少しも必要としなくても、俺の精神
はやっぱり様々な苦痛が訪れる場所だ、まさしく外部から訪れ
る場所だ。俺は今この場所を支えているより外、どんな態度も
とる事が出来ない。そして、時々この場所が俺には一切未知
なものから成り立っている事をみて愕然とする。(略) 俺は毎朝
顔を洗うとき鏡を見てはよく考える、誰もこんな風には俺の顔を
眺めてはいない、と。
この感じは一種の夢に酷似している、この夢は忽ち俺の眺める
人々の上に拡がる。そこに漂うものは、悲しくもない時の涙や
おかしくもない時の笑いや、苦痛が唯一の神となった顔、不安の
余り幸福を強いられた顔、涙をさそう虚偽や見るも汚らわしい
正義や、発狂的理論、心に滲み入る眼差 (まなざ) し、さては
単なる不器用な腕、──俺は人々の鼻の高さが決して一様では
ない事を確かめようと、一つ一つ撮 (つま) んでみなければなら
ないような想いを強いられる。
君は解ってくれるだろう、瑣事のもつ果てしない力を見まいと
する人たちに立ち交って、こういう夢を見つづけるのはかなり
苦しい事だということを。俺は人々が覚め始めようという点を
狙って眠り始めねばならない。時々俺はこの夢の揚げる光に
もうこれ以上堪え切れないと感ずる。忽ち夢は変貌して、俺は
了解し難い無頓着に襲われる。
(略) お前は何故大海の水を コップ で掬 (すく) うような真似
をしているのだ、(略) そして、俺は単に落ち着いているのである。
俺は今すべての物事に対して微笑している。ただ俺にもよくわから
ない仔細によって、他人には決してそうは見えないのだ。
以上の文は、「X への手紙」 の最後のほうで綴られている文です。以上の文で綴られた気持ちを私 (佐藤正美、57才) は共感 (実感) できますが、小林秀雄氏が 以上の文を綴ったときの年齢は 30才です。以上の文で吐露された思いは、文学を志す青年であれば、30才代で実感していなければならないのでしょうが──そして、私も、30才代のときに、そういう思いを持っていましたが──、小林秀雄氏の天才たる所以は、その思いを綴る 「文体」 を持っていたという点でしょうね。豊饒華麗・変化自在な文体で知られる三島由紀夫氏は、小林秀雄氏の文体を讃歎していました。小林秀雄氏と三島由紀夫氏は、文学観において、生活理論では、両極端にいると思われるのですが、制作理論では──特に、「批評」の制作理論では──、ふたりは家族的類似性が強いと私は感じています [ 三島氏のほうが小林氏を強く意識していたと思います ]。意外に思われるかもしれないのですが、私の印象では、小林秀雄氏・三島由紀夫氏と有島武郎氏は、家族的類似性が強い。
さて、小林秀雄氏が吐露している思いに耐えきれないのであれば、世捨て人になるしかないでしょう──だから、私は出家 (僧形) にも憧れています。しかし、出家は出家で煩悩を見据える覚悟がいる。その覚悟が、いま、私にはない。今の私は、西行を読んで、西行に憧れるしかない。60才近くにもなって、私のなかに巣くう言い知れぬ苦悶は、いったい どうして生まれてきたのか、、、その苦悶は、過去の思い出が堆積して溶けて変形した無体物にちがいなのだけれど、ひとつの化け物のように棲息している。「たとえ社会が俺という人間を少しも必要としなくても、俺の精神はやっぱり様々な苦痛が訪れる場所だ、まさしく外部から訪れる場所だ。俺は今この場所を支えているより外、どんな態度もとる事が出来ない。そして、時々この場所が俺には一切未知なものから成り立っている事をみて愕然とする」。
「俺は今すべての物事に対して微笑している。ただ俺にもよくわからない仔細によって、他人には決してそうは見えないのだ」──今の私の胸中を代辯してくれている ことば です。勿論、この微笑は、ふだんの生活において、「意識的な無頓着(あるいは、孤独な諦念)」 を土壌にして咲いた徒花 (あだばな) です。
(2011年 4月 1日)