小林秀雄氏は、「手帖 U」 のなかで以下の文を綴っています。
ジイド も ヴァレリイ も、先ず何を置いても批評家で
あった。執拗 (しつよう) な自己批評家であった。彼ら
の批評精神の語るところが、小説となろうが詩となろうが、
少なくとも彼ら自身には大した問題ではなかった。文学
は、彼らにとって、自己発見自己確立のための手段に他
ならなかった。しかも厄介な事には、彼らには文学以外
の手段を信用する事が出来なかった。つまり作家として
生れて、一番苦しむところが文学とは何かという問題で
あったという点に、彼らに共通な悲劇があったのだ。
すべての問題を自我の問題に還元してみなければ納ま
らなかった彼らの表現が、世の商業主義は言うに及ばず、
公式的な理論から、習慣的な思想から、修辞から離れて、
文学の純粋、文学の独立という方向を辿った事は当然で
あった。この当然なところから、両人を純粋文学運動の
選手と目する事はやさしい。だが逆に彼らの良心が、どう
いう具合に文学の純粋な状態にあこがれたか、という事
はやさしくない。教訓に溢れているのは、このやさしく
ない方だけである。
引用文中、「文学」 を 「モデル (データ・モデル)」 に置き換えれば、私の実感を そのまま代辯してくれている文です。そして、引用文中に記されているように、それは 「悲劇」 なのです。これ以上のことを綴れば蛇足になるでしょう。そして、それを 「悲劇」 と知っていながら、意地を通して TM を作った理由を述べようとすれば、やっぱり、上に引用した文に帰結するでしょうね──じぶんを確立する手段が それしかなかったと。
(2011年 6月 8日)