小林秀雄氏は、「手帖 U」 のなかで以下の文を綴っています。
なるほど彼らは散文精神の詩精神の神髄をさぐろうと
辛労したかもしれぬ。だがこういう漠とした同時に繊細を
極めた問題に確たる解答のあろうはずがない。遂に探求
の目的は、探究そのものにあるという悲劇に直面せざるを
得ない。事実両人ともそういう悲劇に生きている。
(略) 到るところ逆説的な苦汁に溢れている。文学の純粋
状態というものを、睡眠に例えるなら、ジイド の作品にも
ヴァレリイ の作品にも、決して安らかに眠った様子はない、
眠ろうとする努力が眠りをさまたげている姿だけがある。
そして、その姿が私たちを強くひきつける。
純粋文学の問題は、彼らにとっては、不純文学からの
逃走、あるいは不純文学への反抗ではなかった。己れ
自身との戦であった。個人主義を極限まで展開してみよう
とする戦であった。
純粋詩とは何か、純粋小説とは何か、彼らに訊ねたら
恐らくこう答えるであろう。
「そんなものはこの世にない、だが探究する心は確かに
ある」
以上の引用文に対する私の意見は、前回 (2011年 6月 1日付の 「反文芸的断章」) の意見と同じであって、「文学」 を 「モデル の規則作り」 に置き替えれば、私の実感を代辯してくれているように感じています。本 エッセー は 「反文芸的断章」 の エッセー なのですが、私の仕事について言えば、「モデルの規則作り (TM を作ること)」は単なる作図 (DFD、ERD) への反抗ではなかった。じぶん自身との戦いでした。哲学・数学を学習して、事業を解析する技術を作る戦いであった。そして、「探求の目的は、探究そのものにあるという悲劇に直面せざるを得ない」。そういう探究が、小林秀雄氏の云うように 「悲劇」 であることを私は 50才なかばにして やっと感じました [ 私は、もうすぐ 58才です ]。
仕事 (「モデル の規則作り」) を離れても、上に引用した文は、およそ、文学に惹かれたひとが社会生活を送るうえで逃れられない宿命──「じぶんを疑い、じぶんを凝視する」 という性質をもったひとの宿命──でしょう。私は、この宿命から逃れようとは、もう思わない [ かつては苦しさのあまりに、いくども逃れようとしましたが ]。たとえ、それが 「悲劇」 であっても、「探究する心は確かにある」。
(2011年 6月16日)