小林秀雄氏は、「批評について」 のなかで以下の文を綴っています。引用の便宜上、段落に番号を付しておきます。
[ 1 ]
「実際のところを言えば、芸術の領域には、作品がとりもなお
さず問題の充分な解決でないような問題は無いのだ」 とジイド
が 「背徳者」 の序文中に書いているが、なるほどそういうもの
かも知れぬ。こういう頭のよく働く作家が、あれやこれやと思案
を重ねた上の言葉だと思ってみればわからぬ事はない。 (略)
私は ジイド も六十を越して、こういう贅沢極まる感慨が堂々と
吐けるようになったと思っただけだ。あくまでも自己を中心と
する苦しい思索を四十年もつづけて来た作家の心持ちというもの
を強く感じただけであった。そういう作家の心持ちが何んと世間
の評判から掛け離れている事だろう、また掛け離れていなくては
かなわぬと思う。
[ 2 ]
(略) 他人事 (ひとごと) ではない。他人の作品に、出来るだけ
純粋な文学の像を見ようとして、賞讃したり軽蔑したりしつづけ
て来た事が、何か空しい事であったような気がしてならぬ。文学
でもなんでもないものを強いられて、文学でもなんでもないもの
のために辛労して来たような気がしてならぬ。
上に引用した文は、「批評について」 の書きだし文です。小林秀雄氏は、「批評について」 において、文芸時評に関する 彼の意見を述べています。
さて、私は、上の引用文を私の生活・仕事に照らして読んでみました。そして、これらの文が私の実感を代辯してくれている。
[ 1 ] において、小林秀雄氏は、「ジイド も六十を越して、こういう贅沢極まる感慨が堂々と吐けるようになったと思っただけである」 と綴っていますが、私は六十直前になって──私は 58歳ですが──、そういう気持ちを実感できるし、かつ、そういう気持ちが うっかりすると陥る罠も意識しています。還暦にもなれば、じぶんの歩いてきた人生を回顧して 「思い出」 を披瀝したがる所懐も起こるのかもしれない、あるいは、他人に披瀝しなくても、「自分史」 を遺したいと希 (ねが) うのかもしれない──自分は社会のなかで無用ではなかった [ 確実に生きてきた ]、と。私も、勿論、そういう所感を一寸持っているけれど、そういう思いが浮かんだときに、直ぐに打ち消します。私は、じぶんの気持ちを打ち消して、自らを律して優等生ぶって体裁を取り繕うつもりもないのであって、寧ろ、生々しい 「惨めな」 風采の私を実感しています──私はじぶんを、喩えれば、鴨居玲 (かもい れい) 氏の描いた画 「勲章」 の人物と同一視しています、描かれた人物は、呆 (ほう) けた顔をして、ビール瓶の栓を 4つ ほど勲章に見立てて上着に貼り付けて、上体を やや反らすようにして ズポン の ポケット に手をつっこんで立っている。
ジード 氏のような第一級の作家が苦しい思索を四十年も続けてきて実感した所思に較べれば、私のような凡人が歩んだ人生の所感など数ならぬ所懐にすぎないし、そもそも、われわれは他人の人生所感を聞き入るほどに暇ではないでしょう [ じぶんの人生で手いっぱいでしょう ]、「自分は自分 (he for himself, and I for myself}」 というのが人生の相ではないかしら。小林秀雄氏の云うように 「...と思っただけであった」「心持ちというものを強く感じただけであった」 というのが実直な意見でしょうね。人生の所感は 「手の中 (うち) の菓 (このみ) を人に与ふる如くに非ず」 (色道小鏡)。「人生っていうのは、云々」 と説法している ヤツ らの面 (つら) は、たいがい惚けた風貌をしている、「では、あなたの そういう人生を人前に晒してみなさい」 と 面あても言いたくなる、じぶんの生きかたを人前に 「晒す」 ほどの根性などない癖に、と。第一級の作家は、じぶんを世間に晒している、そして、われわれが彼の作品を読んで感応するかどうかは、思い思いの事情に依る。
さて、[ 2 ] を私の仕事に照らして、「文学」 を 「データモデル」 に言い替えれば、私の実感を吐露した文を作ることができます。たとえば、
SE の描いた概念図に、出来るだけ事業の 「意味」 を見ようと
して、概念図を軽蔑しつづけて来た事が、何か空しい事であった
ような気がしてならぬ。モデル でもなんでもないものを強いられ
て、モデル でもなんでもないもののために辛労して来たような
気がしてならぬ。
この言い替え文の前半は、SE が描いた概念図に
対する非難ですが、後半は、自嘲です。そして、自嘲は 「鴨居玲氏の描いた 『勲章』」 へと還流してゆく。顧みて、逆上 (のぼ) せた山気の果ては、「巣鴨の天皇」 か、、、。
(2011年 8月 8日)