小林秀雄氏は、「文学界の混乱」 の中で以下の文を綴っています。
批評精神における創造的傾向と科学的傾向との相剋、
近代文学批評がその誕生に際して遭遇したこの困難は、
今日に至るまで何らの解決もみてはおらぬ。(略)浪漫主義
思想から古典的批評精神を掻き乱したという事は、わが国
の文学批評史には何ら深い意味を持ってはいなかった。
第一私たちは今日に至るまで、批評の領域にすら全く科学
の手を感じないで来た、と言っても過言ではない。
こういう状態にあった時、突然極端に科学的な批評方法
が導入された。言うまでもなく マルクシズム の思想に乗じ
てである。導入それ自体には何ら偶然な事情はなかった
としても、これを受け取った文壇にとっては、まさしく唐突な
事件であった。てんで用意というものがなかったのだ。
当然その反響は、その実質より大きかった。そしてこの誇張
された反響によって、この方法を導入した人たちも、これを
受け取った人たちも等しく、この方法に類似した方法さえ、
わが国の批評史の伝統中にはなかったという事を忘れて
しまった。これは批評家が誰も指摘しないわが国独特の事情
である。君の批評は ブルジョア 自由主義の批評でいかん
と言う、ところが非難される方では自由主義文学批評など
一度もやった覚えはないから、してみると自分の批評は自由
主義の批評かなと、いっそ自惚れしまうというような各所に
演じられた複雑な滑稽は、このわが国独特の事情というもの
から解釈しなければ説明がつかぬのである。
しかし、この批評界の混乱の生んだ滑稽事は、もし批評家
等が、この批評界の混乱を批評道の混乱という自覚にまで
高めなければ、遂に単なる滑稽事として終るであろう。もし
批評家等がこの批評界の混乱を眺め、単に非常時の反映
などと高を括っているならば、この混乱は何物も産まずに
過ぎ去るであろう。
僕はこの混乱の実相に徹したいと希っている。この混乱を
機縁として、わが国の文学批評史がはじめて遭遇した問題、
即ち 「批評は何故困難であるか」 という問題、何処につれて
行かれるかは知らぬが、この問題の萌芽をつかんで離すまい
と思っている。
以上の引用文の中で、中核となっている概念は 「科学的な批評法」 でしょうね。そして、その概念を使って、次の二つの現象が告発されています。
(1) 今日に至るまで批評の領域では科学的批評法を感じないできた。
(2) 科学的批評法は、マルクシズム の思想に乗じて導入された。
「マルクシズム の思想に乗じて」 と小林秀雄氏が綴っているように、マルクシズム の思想は コンテナ であって、その思想に包装された 「科学的」 という概念 (あるいは、技術) を検討吟味すべきはずだったのですが、小林秀雄氏が更に指弾しているように、マルクシズム の思想に対比する概念として 批評の中に 「自由主義の批評」 が象嵌されて、「マルクシズム 思想的批評法-対-自由主義的批評法」 という幽霊どうしの戦いが起こったということ。その 「滑稽な」 混乱の所為で、本来問われるべきだった 「科学的批評法」 が霞んでしまったことを小林秀雄氏は糾弾しています。
この混乱がそうとうな大騒ぎであったことは、日本文学史を眺めればわかるでしょう。私 (佐藤正美) は、当時の文学作品を丁寧に読んでいないので、この混乱そのものを云々するほどの所見を持ってはいない──ただ、マルクシズム の思想が、私の愛読してきた作家たち (たとえば、有島武郎氏・亀井勝一郎氏) に対して多大に影響したことを私は把握しています。そして、私は、大学生の頃 (今から 38年前)、マルクシズム の思想に興味を抱いていましたが (そして、マルクス の著作をいくつか読んでいましたが)、マルクシズム を本気で学んで手本にしようと思ったことは一切なかった──というのは、私が当時愛読していた作家たちも、亀井勝一郎氏はすでに 「転向」 後の状態にあったし、小林秀雄氏は御存じの通りに 「反 マルクシズム」 だったので。
さて、「科学的批評法」 について。小林秀雄氏は批評家として デビュー したとき (「様々なる意匠」 を発表したとき) から以後ずっと 「科学的批評法」 を追究していましたし──言い替えれば、「様々なる意匠」 を公表する以前から 「小林秀雄氏の確信した」 科学的批評法を [ それが (「様々なる意匠」 で述べられている意見を忖度すれば、) 世間一般で云う 「科学的批評法」 と違うことに注意してほしのですが ] 実践していましたし──世間 (文壇) で云われている 「科学的批評」 に対する懐疑を小林秀雄氏は抱いていました。
手続きを疑わぬ やりかた は アルゴリズム と同じです。アルゴリズム は くり返し使うことができる。個々の作品に対する批評が アルゴリズム になれば、文芸批評は批評にはならないでしょうね。小林秀雄氏が確認したかった 「科学的批評法」──そして、批評がどうして困難なのかという テーマ──を検討吟味する絶好の材料 (攻撃の的) になったのが マルクシズム の思想 (プロレタリア 文学) だったのでしょうね。そして、その検討吟味の中で、「科学的」 な やりかた を装った幽霊が徘徊している様 (さま) に癖癖した小林秀雄氏は、自らの批評法 [ 日本人が習得した西洋的 (ヴァレリー 氏、アラン 氏、ベルクソン 氏らから学んだ)思考法 ] の意味を問い続けて、批評技術の底辺として自らの精神が立っている 「伝統」 (主調低音) を探すために 「日本的なるもの」 に向かう──「批評道」 という語を小林秀雄氏が使っている点に私は注意を払いたい。
小林秀雄氏の歩んだ道に沿って、私は じぶんが仕事してきた領域で起こった混乱を眺望しています──「コッド 関係 モデルと リレーショナル・データベース」 の関係は、まさに、「マルクス と マルクシズム」 の関係に対応します。いずれも本家は すばらしいのですが、亜流は紛い物に終わってしまった。事業分析法の混乱を モデル 作成法の混乱という自覚まで高めなければ、遂に単なる混乱として終るでしょう。私は、「この混乱の実相に徹したいと希っている」。この混乱を機縁として、「モデル 作成は何故困難であるか」 という問題、「何処につれて行かれるかは知らぬが、この問題の萌芽をつかんで離すまいと思っている」。そして、私が幾多の彷徨の末に辿り着いた止宿所は、「数学基礎論」 の モデル 論 (Theory of models) でした。私は、「科学的」 な モデル 論として 「数学基礎論」 を懸命に学習しました。しかし、それは十分条件です──つまり、必要十分条件じゃない。宿の窓から 「言語哲学」 の山並みが見える。「科学的」 技術を実生活 (事業) の中で きっちりと使うためには、もう一つ山を登らなければならなかった。「科学的」 という意味を実感する──技術を実地に使って、整合性・単純性・有効性を実現する──ためには、それはそれで、そうとうな労力を注がなければならない。「科学的」 らしき 「概念」 公式を使って事態を一様に演算するのが モデル じゃない。
(2011年11月 8日)