小林秀雄氏は、「文学界の混乱」 (の 「私小説について」) の中で以下の文を綴っています。説明の便宜上、段落に番号を付与しておきます。
[ 1 ]
宇野氏は 「東京朝日」 の時評の冒頭に次のような志賀氏の
言葉をあげていた。
「夢殿の救世 (ぐせ) 観音を見ていると、その作者という
ようなものは全く浮かんで来ない。それは作者というものから
それが完全に遊離した存在となっているからで、これはまた
格別な事である。文芸の上でもし私にそんな仕事でも出来る
ことがあったら、私は勿論それに自分の名などを冠 (かぶ)
せようとは思わないだろう」。原始的な生活欲情と古典的な
感受性とを併有した、この卓越した私小説家の言葉には、全く
比喩的な意味はないのであって、僕も宇野氏とともに、この
言葉を氏の吐いた言葉のうち最も美しいものの一つに数える
が、僕らを今日苦しめている私小説問題の標語的意味を、ここ
に捜そうとは僕は思わぬ。氏の審美的な感慨は、この問題を
覆うに足りぬであろう。たとえ氏の審美感は即ち氏の倫理感
を意味していようとも。
[ 2 ]
作品は面白いが作者に会ってみると一向面白くもない人間だ、
というような低級な場合は論外だ。しかしその仕事の世界に、
実生活には到底うかがえないような深さが表現されているという
ような作家が、今日日本に幾人いるであろうか。先ず大部分の
作家の場合では、その仕事は実生活を抜いてはおらぬのでは
あるまいか。実生活の方が高みにあるのではあるまいか。この
作家的弱点は従来の私小説の伝統の裡で明らかに意識されな
かったばかりか、かえって必死に守られて来た。実生活の夢に
憑かれた作家等は、己れをしゃぶりつくしていわゆる深い人間
的境地なるものを獲た。だが読者は何を貰ったか。極言すれば
御馳走のお余りだ。実生活に膠着 (こうちゃく) しつつ表現し
た作家等は、その実生活の豊饒が滅びると共に文学の夢も
滅びるのを知った。そういう時だ、夢殿観音が現れるのは。
[ 1 ] で引用されている志賀直哉氏の言葉は──小林秀雄氏が 「この言葉を氏の吐いた言葉のうち最も美しいものの一つに数えるが、僕らを今日苦しめている私小説問題の標語的意味を、ここに捜そうとは僕は思わぬ」 と綴っているように──、文学では、際どい [ すれすれで危ない ] 意見でしょうね。私小説作家が 「それは作者というものからそれが完全に遊離した存在となっている」 「私は勿論それに自分の名などを冠 (かぶ) せようとは思わないだろう」 と独白した時に、作家は身の上に如何なる思いを実感していたのか、私小説作家として立ち続ける困難に対する諦念だったのではないか。
[ 2 ] において、小林秀雄氏は、「そういう時だ、夢殿観音が現れるのは」 と綴っていますが、この文の意味は [ 1 ] の志賀直哉氏の思いを忖度して、実生活の芸術化を追究した果ては そうなるという推論でしょうね。「私小説作家の危機」 と小林秀雄氏は見做 (みな) している。だから、小林秀雄氏は、[ 1 ] において、「氏の審美的な感慨は、この問題を覆うに足りぬであろう。たとえ氏の審美感は即ち氏の倫理感を意味していようとも」 と綴っている。「倫理感」 の意味は、この文脈では、実生活での実感・追懐・反省を作品の制作理論として一途に追究したという意味でしょうね。
「文学界の混乱」 は、1934年に発表されました (「文藝春秋」 一月号)。小林秀雄氏は、翌年、「私小説論」 を連載で公表しています (「経済往来」 五月号〜八月号)。「私小説論」 の中でも、志賀直哉氏の言葉が再録されています。「私小説論」 を、後日、「反文芸的断章」 で読み下すので、「文学界の混乱」 の中から次の文を 「私小説論」 への序説として記しておきます。
実生活の夢に憑かれた作家等は、己れをしゃぶりつくして
いわゆる深い人間的境地なるものを獲た。だが読者は何を
貰ったか。極言すれば御馳走のお余りだ。実生活に膠着
(こうちゃく) しつつ表現した作家等は、その実生活の豊饒
が滅びると共に文学の夢も滅びるのを知った。
序説というふうに私は綴りましたが、この文は私小説の性質を撃ち抜いた寸鉄ですね。ちなみに、私は、いわゆる私小説作家を──作家が天才であっても──好きにはなれない。
(2011年12月 1日)