小林秀雄氏は、「『紋章』 と 『風雨強かるべし』 とを読む」 の中で以下の文を綴っています。
シェストフ の表現に悪い意味で文士風なところが目について
気懸かりだ、と三木氏は書いていた、ちょっとした言葉だが、
なかなか興味がある。三木氏に限らず哲学専門家があれを読
むとみんなそんな事を言いそうだからである。僕は近頃必要が
あって ロシア の歴史をいろいろ読み、ロシヤ の文化という
ものがいかに若いかという事を痛感した。ドストエフスキイ と
フロオベル とが同じ年に生れ殆ど同じ年に死にながら、いかに
異なった環境に生活したかを了解した。ここで細説はしないが、
また細説する自信も今ないが、西欧の小説が衰弱しはじめた
時 ロシヤ の小説がひとりあのような輝やかしい頂に達したの
は、文芸復興も知らず、宗教改革も知らずに来たその文化の
若さの力による事は疑えない。振り返ってみても頼るべき文化
の伝統らしい伝統はみあたらず、西欧の思想を手当り次第に貪
(むさぼ) るより他に進む道はない、しかも既に爛熟し専門化
した輸入思想を受けとってもこれを託すべき専門家が見つから
ぬから、何でも彼でも自分一人でこれと戦わねばならぬ。そう
いう状態なのだ、彼らがああいう見事な文学を作り上げたのは。
恐らくこれは シェストフ の場合でもあまり変らなかったろうと
思う、彼もまた哲学の伝統のない場所で生き生きと哲学を考え
た一人なのだ。僕は彼のそういう処に一番惹 (ひ) かれるの
である。彼の論理は結局のところは単純だろうし、また曖昧でも
あるだろう。しかし、彼の哲学の生とか死とか善とか悪とかいう
概念は実に殆ど子供の使う言葉のように大胆で純粋なのである。
トルストイ や ドストエフスキイ の小説に文学以前の荒々しい
情熱が感じられるように、僕は シェストフ の論文から哲学以前
の息吹きを感ずる。それを ニイチェ のいわゆる文士臭がある
などと言うのは、こっちが何処かしゃら臭いのである。哲学的に
衰弱しているのだ。恐らく シェストフ は文学と哲学との対立する
世界で仕事をはじめた人ではない。彼の教養には専門化を知ら
ぬ野生がある。彼は悲劇主義者でもなければ、不安の宣伝家
でもない。ただ当時の社会不安のなかに大胆に身を横たえた
一人の男なのだ。そこから彼の哲学は由来しているので、彼の
哲学には批評家の餌食 (えじき) になるような結論も システム
もないのである。
だが身を横たえるという事は、どんなに難しい事だろう。誰が
何んといおうが一番大きな一番強い生活の不安の上に、不安が
なければ インテリ 面が出来ない態 (てい) の様々な段階の
不安がある、その上に不安の哲学が知りたいみたいな不安が
ある、またその上に色々な信念がお互に喧嘩している。そういう
処へごろりと横になるという事は。「紋章」 を読み、「雨風強かる
べし」 を読んで、この身を横たえる事の難しさ、つらさが第一に
心に来た。作家というものは不安の究明者でもなければ、解説者
でもないというそのつらさが。そして作品の出来栄えなぞ云々する
興味の忽ち失せて行くのを感じたのであった。
見事な批評ですね──ただただ私は脱帽するしかない。私が今まで読んできた天才たちはすべて、小林秀雄氏が批評している態──大胆に身を横たえた (そして、自らの感性・思考を晒した) 態──を貫いていた人物です。私のような凡人が、天才の やりかた を真似るなら、およそ、天才の技術を真似ることなどできないので、せめても、天才たちのこの態度を倣 (なら) いたいし、私は今までそうしてきたつもりです。否、そういう言いかたは論点先取りになっているかもしれない、正確に言えば、そういう態度を私に感じさせた天才たちを私は愛読して来たのでしょうね。ただ、私のような凡人が、天才のそういう態度を倣えば、「この身を横たえる事の難しさ、つらさが第一に心に来た」 ことを痛感しています。そして、私が天才を倣う猿真似は、「高慢さが芸になっていない」 というふうに ウェブ で非難される羽目になったのでしょうね。しかし、たとえ猿真似であっても、私が 「自分を晒す」 ことは私の著作や本 ホームページ の 「反文芸的断章」 を読んでいただければ、いかほどに実現できて、いかほどに及んでいないかは明らかだし、「高慢さが芸になっていない」 と批評して いっぱし批評家ぶっていることに較べたら、(私の高慢な性質などどうでもいいのであって、) 私の意見を真っ直ぐに批評できない人が私の覚悟を感知できる訳などないでしょう。私が 「本気で」 反論したくなるような批評を綴ってほしい──私は今までそういう批評 (非難?) に御目に掛かった事がない。いかなる物かを調べるために、それに直接に触れないで、棒で ちょこちょこと突くような惚けた感想に対して私は相手をする気にもなれない。
「作家というものは不安の究明者でもなければ、解説者でもないというそのつらさが」──私は エンジニア として、この文を じぶんが立っている領域で考えてみました。学問の理論を探究する人を私は尊敬します。事業において成功をおさめた人に私は敬意を払います。だが、学問も事業も選ばずに、それらのあいだに立って、学問的理論を実務的技術に翻訳する人を私は愛する──エンジニア であることの、言い替えれば、学問と実務とのあいだに身を沈める (沈潜する) ことの矜持と辛さを私はつくづく味わっています。
(2012年 3月16日)