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In great anguish he prayed even more fervently; (Luke 22-44)

 



 小林秀雄氏は、「文芸時評について」 の中で以下の文を綴っています。

     名作なぞは十年に一度出ればいい。佳品凡作悪作劣作ごちゃ
    まぜに強いられるのは当然じゃないか、いっそ気が楽みたよう
    なものさ、そういう度胸が出来て来ると文芸時評家も一人前な
    のかも知れないが、大して面白い度胸でもない。こんな度胸が、
    人間を安心させるわけがないからである。文芸時評家として
    天命を全うするとなるとこれは別の話になるが、ともかく僕なぞ
    は、どうやら度胸は出来たらしいが、面白くもないと思っている。
    いずれにせよかような度胸は時評家に必要なものであるよりも
    むしろ必至のものだ。必至のものであればこそ、そこに時評家は
    一種の疲労を感ぜざるを得ない。職業の秘密に或る疲労を感じて
    いない人には、職業の秘密というものがまだわからぬだ。いい
    加減文芸時評をやっていて、疲れを覚えないような人は少しどうか
    しているのだ、と言ったのはこの意味なので、一考の価値がある
    のは度胸ではない、度胸の含む一種の疲労物質についてである。

 私は システム・エンジニア──モデル の規則を作る エンジニア──を職としていて文芸時評家ではないのですが、小林秀雄氏が文芸時評家について述べている性質 (度胸、疲労) について同感を覚えます。上に引用した文を次のように書き替えてみましょう。

     すぐれた モデル 論なぞは数十年に一度出ればいい、コッド
    関係 モデル・オブジェクト 指向 「抽象 データ 型 モデル」・
    概念図の ポンチ 絵・大雑把な パターン ごっちゃまぜに強いら
    れるのは当然じゃないか、そういう度胸が出来て来ると 「事業
    分析」 を職とする エンジニア も一人前なのかも知れないが、
    大して面白い度胸でもない。こんな度胸が エンジニア を安慮さ
    せる訳がないからである。ともかく私 (佐藤正美) なぞは、どう
    やら度胸は出来たらしいが、面白くもないと思っている。いずれに
    せよかような度胸は システム・エンジニア に必要なものである
    よりもむしろ必至のものだ。必至のものであればこそ、そこに
    システム・エンジニア は一種の疲労を感ぜざるを得ない。職業の
    秘密に或る疲労を感じていない人には、職業の秘密というものが
    まだわからぬだ。システム・エンジニア を長年やっていて、疲れ
    を覚えないような人は少しどうかしているのだ。

 原文の文芸時評家を システム・エンジニア に置きかえても違和感はないですね (笑)──文芸批評家や システム・エンジニア に限らず、小林秀雄氏の云う 「度胸、疲労」 は、たぶん、すべての職業に適用できるのではないかしら。どのような職業であれ、それを変数 x にして、次のように考えれば肯けるでしょう。

    (1) そういう度胸が出来て来ると、x も一人前なのかも知れない。

    (2) かような度胸は x に必要なものであるよりもむしろ必至のものだ。

    (3) 必至のものであればこそ、そこに x は一種の疲労を感ぜざるを
      得ない。

 そして、結論として、「職業の秘密に或る疲労を感じていない人には、職業の秘密というものがまだわからぬだ」。「職業の秘密」 という意味を明らかにするために英訳してみれば、secret あるいは mystery が equivalent なのではないかしら。たとえば、次のような使いかたとして (「研究社 新和英大辞典」)。

    There are many secrets we do not understand hidden in the
    depths of the sea.

    Migratory birds have some secret (mysterious power) which
    gives them a sense of direction.

 すなわち、「発見されていない (未知の) 真理」 に近い概念でしょうね。そうであれば、様々な品質の作品に接する度胸を抱き続けて──佳作・駄作の宝石混淆な多量の作品群を相手にして──長年の仕事の中で審美眼 (批評力) を養うしかないでしょうね、すぐれた作品を制作するための技術を一覧的に記述した表 (リスト) を物指しとして一つ持っていれば作品を判断できるというような手続きは仕事じゃないし、そんな手続きを組む事もできないでしょう。だから、清濁併せ呑むのは当然じゃないかという度胸が出来る。そして、そういう濁流の中に潜り続けて真珠を探すのは疲れる。この疲労感は the secret を明かすための対価なのでしょうね。そう言えば、「気の利いた」 批評が虚弱に感じられるのは、ひょっとしたら、こういう度胸を体験して来なかったからかもしれない。普段の生活の中で、技術というのは実際に使ってみて覚えるしかない事や、くり返して使って慣れる事を我々は知っている。そして、技術を使って愉しんでいるあいだは、趣味の域を出ないでしょうね。技術を極限の状態にまで極めるならば長年の研鑽を積んで、その研鑽の中で、苦しみや悦びや疲れや絶望を嫌というほど味わう筈でしょう。絶望感を味わった事のない匠 (熟練) などは有り得ないのではないかしら。

 
 (2012年 4月23日)


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