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But I see a different law at work in my body── (Romans 7-23)

 



 小林秀雄氏は、「私小説論」 の中で以下の文を綴っています。

       フランス でも自然主義小説が爛熟期に達した時に、
      私小説の運動があらわれた。パレス がそうであり、
      つづく ジイド も プルウスト もそうである。彼らが各自
      遂にいかなる頂に達したとしても、その創作の動因
      には、同じ憧憬、つまり十九世紀自然主義思想の重圧
      のために形式化した人間性を再建しようとする焦燥が
      あった。彼らがこの仕事のために、「私」 を研究して
      誤らなかったのは、彼らの 「私」 がその時既に充分
      に社会化した 「私」 であったからである。

       ルッソウ は 「懺悔録」 でただ己れの実生活を描こう
      と思ったのでもなければ、ましてこれを巧みに表現し
      ようと苦しんだのでもないのであって、彼を駆り立てた
      ものは、社会における個人というものの持つ意味で
      あり、引いては自然における人間の位置に関する熱烈
      な思想である。大事なのは、「懺悔録」 が私小説と言え
      るかどうか (この事は久米氏も既に論じている) という
      ことではなく、彼の思想はたとえ彼の口から語られなく
      ても、彼の口真似はしなかったにせよ、ゲエテ にも、
      セナンクウル にも、コシスタン にも滲み込んでいた
      という事だ。彼らの私小説の主人公らがどのように己れ
      の実生活的意義を疑っているにせよ、作者らの頭には
      個人と自然や社会との確然たる対決が存したのである。
      つづいて現れた自然主義小説家たちはみな、こういう
      対決に関して思想上の訓練を経た人たちだ。だから彼ら
      にとって、実証主義思想に殉じ 「他」 を描いて 「自」
      に徹するという仕事は、久米氏の考えるように、決して
      古今東西の一、二の天才の、というような異常な稀有な
      仕事ではなかったのである。

 引用文に綴られている事を、私は、前回の 「反文芸的断章」 の中で、有島武郎氏を引例しました。有島武郎氏の 「惜しみなく愛は奪う」 は、「懺悔録」 に近い性質だと私は思っています。簡潔で精緻な文体の随筆・短篇を好む日本人の感覚からすれば、有島武郎氏の文体は バタ臭い (翻訳調の) 様に、そして作品も二元論的な文学青年的 (青臭い) 性質に感じられるのでしょうね。でも、当時の日本で、あれほどの構成力を持った作家は他には存しないでしょう。思想の揺籃を感じさせる作家は、当時、有島武郎氏の他に私は識らない──だから、私は彼に惹かれる。勿論、小説という文学作品なのだから、思想を思想として伝達するのが目的ではないのであって、物語の中に作家の思想を込めて (「他」 を描いて 「自」 に徹して) いなければならない。或る意味では、有島武郎氏の作品を読んだ後で、なにかしらの 「未完成」 の感を覚えます。それが即ち、有島武郎氏の作品が せっかちな文学青年的臭いを放って、文体が バタ臭い舌足らずに様に思われるのかもしれないのですが、作家が 「他」 を描いて 「自」 に徹した、「自身が 『思想』 と向きあって戦っている様 (さま) を晒した」 状態だと云っていいでしょう。

 勿論、「思想」 と向きあった作家たちは、自然主義文学の以後に多いのですが、社会の中での 「自」 を凝視している傾向が強い──例えば、芥川竜之介氏──、しかし、社会に対して個性を謳った作家は、有島武郎氏 (と武者小路実篤氏) しか私は識らない。しかも、有島武郎氏は、当時の社会において、家庭では長男として儒教的な躾けをうけて、さらに、学生時代には、キリスト 教に入信し、洋行中には Walt Whitman の詩を愛読し、帰国後には、社会主義にも関心を抱いている様に、当時の重立った思想を体験した 「知識人」 でした。そういう思想の坩堝 (るつぼ) の中で、彼は 「個人 (個性) と社会」 を考えて 「惜しみなく愛は奪う」 を認 (したた) めている──「『知識人』 の悲劇」 という レッテル じゃ一縮できない 「個性が社会に対する戦い」 の叫びが聞こえる。日本の文学史 (明治時代、大正時代および昭和時代) の中で、有島武郎氏は特質の様に私には思われます。有島武郎氏の様な作家が、当時、どうして もっと現れなかったのか、思想を語るのは文学とはべつの仕事──例えば、西周氏が着手した哲学の仕事──と考えられていたのかしら。

 有島武郎氏の作品とは正反対の作品にも私は惹かれる──例えば、川端康成氏の作品。「国境の トンネル を抜けて」、べつの世界に入って、事態を凝視するという作品も私は大好きです。「雪国」 と 「眠れる美女」 を──それらが私小説と称されるのかどうかはわからないのですが──私は大好きです。川端康成氏は次のように言っています、「私は日本古来の悲しみのなかに帰ってゆくばかりである」。そういう 「日本的なもの」 にも私は惹かれる。ちなみに、「雪国」 は、長編小説というふうに云われていますが、西洋の長編小説に較べたら、(短篇ではないにしても、) 中編くらいではないかしら。川端康成氏の文体で 「戦争と平和」 を綴られたら文 [ 行間に込められた情感 ] が濃稠すぎて、私は読む気がしないでしょうね。

 小説の テーマ は、作家の人生観に依って選ばれるのであって、自身の精神に即しないものを狙っても こじつけ になってしまうので、作家は、当然ながら、自身の人生観を託すように作品を構成するでしょうが、「社会と対決した個性」 を (日本の作家たちは ほとんど) 謳わなかった。その対決は、プロレタリア 文学として初めて 「思想」 と対決する事になるのですが──ただし、その文学が 「個性」 を重視したかどうかは疑わしいのですが──、そうとうな文学的混迷を生じた事は文学史が記しています。

 
 (2012年 6月23日)


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