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Have the salt of friendship among yourselves, and... (Mark 9-50)

 



 小林秀雄氏は、「私小説論」 の中で以下の文を綴っています。

       フランス の ブルジョアジイ が夢みた、あらゆるもの
      を科学によって計量し利用しようとする貪婪 (どんらん)
      な夢は、既に フロオベル に人生への絶望を教え、実生活
      訣別する決心をさせていた。モオパッサン の作品も、背後
      にあるこの非情な思想に殺された人間の手に成ったもの
      だ。彼らの 「私」 は作品になるまえに一っぺん死んだ事
      のある 「私」 である。彼らは斬新な技法を発明したが、
      これは社会生活も私生活も信じられなかった末、発明
      せざるを得なかったもので、フロオベル の 「マダム・
      ボヴァリイ は私だ」 という有名な言葉も、彼の 「私」 は
      作品の上で生きているが現実には死んでいる事を厭でも
      知った人の言葉だ。

       こういう作家等の思想上の悪闘こそ、自然主義文学を
      輸入したわが国の作家等に最も理解し難いものであった。
      「徳川文学の感化も受けず、紅露二氏の影響も受けず、
      従来の我文壇とは殆ど全く没関係の着想、取扱、作風を
      以て余が製作を初めた事については必ずその本源がなく
      てはならぬ。その本源は何であるかと自問して、余は
      ワーズワース に想到したのである」 と独歩は書いた。
      少なくとも明治後半以来のわが作家等はみな自分の
      ワーズワース によって仕事をしたのである。めいめいが
      自分の好きな ワーズワース を持っていた。ゾラ を モオ
      パッサンを フロオベル を。これはくどいようだが、次の
      ような事を意味する。わが国の作家たちは、西洋作家等
      の技法に現れている限りの、個別化された思想を、なるほど
      悉 (ことごと) く受入れたには違いなかったが、これらの
      思想は、作家めいめいの夢を育てたに過ぎなかった。外来
      思想は作家たちに技法的にのみ受入れられ、技法的にのみ
      生きざるを得なかった。受取ったものは、思想というより
      むしろ感想であった。そして、それは大変好都合な事で
      あった。

       実生活に訣別した モオパッサン の作品が、花袋に実
      生活の指針を与え、喜びを与えた。この事情、わが国の
      近代私小説のはじまりである 「蒲団」 の成立に関する
      奇怪な事情に、後世私小説論の起った秘密があるのだが、
      この秘密の構造は少なくとも原理的には甚だ簡明なので
      ある。どんな天才作家も、自分一人の手で時代精神とか
      社会思想とかいうものを創り出す事は出来ない。どんな
      つまらぬ思想でも、作家はこれを全く新しく発明したり
      発見したりするものではない。彼は既に人々のうちに
      生きている思想を、作品に実現し明瞭化するだけである。
      (略) 文学自体に外から生き物のように働きかける社会
      化され組織化された思想の力というようなものは当時の
      作家等が夢にも考えなかったものである。(略) 社会と
      の烈しい対決なしで事をすませた文学の、自足した藤村
      の 「破戒」 における革命も、秋声の 「あらくれ」 における
      爛熟も、主観的にはどのようなものだったにせよ、技法上
      の革命であり爛熟であったと形容するのが正しいのだ。

 上に引用した文は、「私小説論」 の中核意見の一つだと思います──「文学自体に外から生き物のように働きかける社会化され組織化された思想の力というようなものは当時の作家等が夢にも考えなかったものである」 と。だから、輸入された自然主義文学は、「社会との烈しい対決なしで事をすませた文学の」 「作家めいめいの夢を育て」 「技法上の革命であり爛熟であった」 と。しかし、本家の西洋では、自然主義文学は、たとえば フロオベル では 「社会生活も私生活も信じられなかった末、発明せざるを得なかったもの」 であった、と。

 それと似たような現象は、日本では、他の制度でも観られるのではないかしら──たとえば、学校教育制度や会社組織制度などでも。そういうふうに (自身に役立つように) 換骨奪胎する現象を 「日本化」 と呼ぶかどうかは私には判断できないけれど、私自身は、そういう現象に対して反感を抱いています。換骨奪胎と云っても、元 (もと) の意味を真似て語句や表現形式を変えたのではなくて、意味そのものを継承してはいなかったので、単に形式の変形的応用にすぎないではないかしら──ただし、そういう形式が今まで存しなかったという意味で、小林秀雄氏の言うように 「技法上の革命」 なのかもしれないのですが。

 才識豊かな作家たちが取り組んだ事なので、私の様な シロート が 「(思想の) 意味」 などと云っても彼等には重々承知の上の事であって、彼等がいくら才識を駆使しても我が国の社会が西洋的 「私」 に似た性質を生む土壌がなかったということでしょうね──明治時代・大正時代には、日本の社会制度も西洋化が伝播していたのですが、民衆が社会の中で思想を育んで拵えた制度じゃなかった。しかも、いっぽうで、その土壌には、我が国特有の文学の長い伝統が存していたのだから。小林秀雄氏は、他の エッセー で次の文を綴っています──「脱げば素面が現れる様な仮面を、人間は人生で被る事は出来まいから。人間は、めいめい自分にしつくり合つた仮面を被る他はあるまいから」 (「『テスト 氏』 の方法)。当時、思想の上で、西洋的な 「私」 を強く意識して [ 体得して ] いた作家の一人が有島武郎氏でしょうね。「個性」 を謳い、女性に社会的公平さ [ 平等 ] を与える事 (give justice to) を説く彼の思想が──有島武郎氏の作品を愛読してきた私の感想では、彼の作品には、つねに、社会の中での個人の justice が基調になっている様に思われますが──当時の社会で ウケ たけれど、社会の土壌はそこまで至ってはいなかったので、彼は文学史の中で徒花の様にさえ見える [ 「惜しみなく愛は奪う」 で彼が論じた 「本能的生活」 は、社会と戦う個性の究極形としての訴願であって、その究極形は社会的制度の中では自然な帰結として個人の抹消に至るのは壮大な パラドックス であって、「社会生活も私生活も信じられなかった末、発明せざるを得なかったもの」 ではないかしら ]。いっぽうで、「技法の改革」 だけに走った日本的自然主義文学を疑って、思想を練 (ね) っていた作家たちが夏目漱石・森鴎外・芥川竜之介でしょう。ひょっとしたら、芥川竜之介は、思想の挾間 (西洋的思想と東洋的思想のあいだ) で揺れていたのかもしれない。

 私は、群れをなしてやって来る思想を疑う。思想とは、或る理想を育んで、それを生活の中に取り込もうと工夫して考える人が、その理想によって生活の中で実現した精神 (個性) でしょう。だから、良い思想は、ただ独りでやって来る。そういう考えかたを持つ私は有島武郎氏に惹かれる [ 私は論点先取りをやらかしているかもしれない、、、私のそういう考えかたは、有島武郎氏から学んだのかもしれない ]。社会の中で生活している限りにおいて、社会からの影響がなんらかの形で [ 影響を避けようとしても ] 作家の思考・精神に現れる事は確かですが、作家がその影響を意識して (すなわち凝視して) 見極めようとしている事は、べつ物であって、作家が社会的思想の渦中に自らを置いて文学的実験──たとえば、実証主義の思想の文学的構成──をおこなうには、社会的思想を強く意識していなければならない。当時の日本の社会では、実証主義は、作家が自らの生活を賭してまで戦うべき思想として根づいてはいなかったのでしょうね。そして、「文学自体に外から生き物のように働きかける社会化され組織化された思想の力というようなものは当時の作家等が夢にも考えなかった」 ので、後 (のち) にマルクス 主義という思想に直面して作家たちは戸惑う (もしくは狼狽える、または盲信する) 始末になったのでしょうね。

 
 (2012年 7月 8日)


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