小林秀雄氏は、「私小説論」 の中で以下の文を綴っています。
純粋小説の思想は言うまでもなく アンドレ・ジイド
に発した。一体 ジイド が現代の フランス 文学界で
極めて重要な位置を占めるに至った所以は、その強烈
な自己探求の精神にあった。「地の糧」 の序文に彼は
書いた。「私が、これを書いたのは文学が怖ろしく風
通しの悪さを感じている時であった。文学を新しく大地
に触れさせ、文学にただ素足のままで土を踏ませる
事が焦眉 (しようび) の急だと私には思われたのだ」
と。「地の糧」 の発表されたのは一八九七年だ。わが
国の文壇が モオパッサン に驚嘆する数年以前の事で
ある。花袋は モオパッサン によって文学に素足のまま
で土を踏ませる急務を覚 (さと) ったのであるが、彼
の素足と ジイド の素足とのへだたりを云々する必要が
あるだろうか、というより、自然主義小説が広大な社会
小説として充分に客観化し成熟した時、文学の風通し
の悪さを慨嘆せざるを得なかった当時の ジイド の心が
僕らにほんとうに納得が行くだろうか。
十九世紀の実証主義思想は、この思想の犠牲者と
して 「私」 を殺して、芸術の上に 「私」 の影を発見した
少数の作家たちを除いては、一般小説家を甚だ風通し
の悪いものにした。個人の内面の豊富は閑却され、生活
の意欲は衰弱した時にあたって、ジイド はすべてを忘れ
て ただ 「私」 を信じようとした。自意識というものがどれ
ほどの懐疑に、複雑に、混乱に、豊富に堪えられるもの
かを試みる実験室を、自分の資質のうちに設けようと
決心した。客観的態度だとか科学的観察だとかいう言葉
が作家たちの合言葉となって、無私を軽信する事が文学
を軽信する所以であったような無気力な文壇の惰性の
なかで、彼は一人で逆に歩き出した。彼の鮮やかな身振
りは、眼を文学以前の自己省察に向ける事を人々に教え
たのである。
花袋が文学を素足のままで上の上に立たせるについて
決心した事は、人生観上の理想主義と離別する事であり、
この離別は彼には文学の技法上に新しい道を発見させ、
この発見がまた私生活を正当化する理論ともなったのだ
が、ジイド にあっては事情が悉 (ことごと) く違うので
ある。彼が文学の素足を云々する時、彼は在来の文学
方法に反抗したのでもなければ、新しい文学的態度を
発見したのでもない。凡そ文学というものが無条件には
信じられぬという自覚、自意識が文学に屈従する理由は
ないという自覚を語ったのだ。花袋が 「私」 を信ずる
とは、私生活と私小説とを信じる事であった。ジイド に
とって 「私」 を信ずるとは、私のうちの実験室だけを信じ
て他は一切信じないという事であった。これらは大変
異なった覚悟であって、ここにわが国の私小説家等が
憑 (つ) かれた 「私」 の像と、ジイド 等が憑かれた
「私」 の像とのへだたりを見る事が出来ると思う。
とても難しい文ですね。小林秀雄氏の言わんとしている事を私は朧気にわかるのですが、確証には至っていないというのが本音です──というのは、私は田山花袋氏・ジード 氏の作品を読んでいないので、作品を調べて確かめる事ができない。したがって、本 エッセー では、小林秀雄氏の論を追跡するのが手一杯です。ちなみに、小林秀雄氏は フランス 語を専門にしていたので、フランス 文学 (および フランス 哲学) を多量に且つ詳細に読み込んでいました。
「私」 という概念──自然主義の中で着目された 「私」 概念──は、田山花袋氏と ジード 氏では、大きな隔たりが存している事が先ず述べられています。そして、田山花袋氏では 「私」 概念は理想主義に対峙する自然主義として私生活を正当化する概念であったが、ジード 氏ではそれは自然主義などの文学的思想の前提ではなくて、(文学以前に) 文学をも実験台にする 「自意識」 であった、と。「ジード 氏は、デカルト 哲学以後の合理主義を伝統とした社会で生きていました──その社会では、『神 (あるいは、教会的宗教)』 という重しが存していたし、それに反抗するように啓蒙思想が興って、啓蒙思想が謳った理想を社会の中で現実的に調える現実主義 (レアリスム)・自然主義 (あるいは、科学的合理性の思想) が謳われた。文芸上では、自然主義は 19世紀後半に一大思想となって、理想化を排して、人間の生の醜悪・瑣末な相をも描こうという態度でした」 (以上の記述は、思想事典・百科事典の数冊を読んで私がまとめた文です。) そういう伝統のうえに立つ社会の中で、ジード 氏が凝視した 「私」 は──社会の中に存する 「私」 は──、社会を書き割りにした 「個人の生きかた」 を現した主人公でもなかったし、社会の中で役割を与えられた有機体でもなかった、と小林秀雄氏は言いたいのではないかしら。私の直観では、ジード 氏の 「私」 は、(デカルト 氏の) 「cogito, ergo sum コギト・エルゴ・スム (我思う故に我あり)」 の原形に近いのではないかと感じています──ただし、私は、ジード 氏の作品を読み込んではいないので、あくまで直観にすぎない。もし、その直観が外れていなければ──私は外れていないと思っているので、それだから──、ジード 氏は 「凡そ文学というものが無条件には信じられぬという自覚、自意識が文学に屈従する理由はないという自覚を語った」 のでしょう。この自覚は、当然ながら、社会生活も私生活も懐疑する意識なので、ジード 氏の作品が私小説なのかどうかを私はわからないけれど、少なくとも、田山花袋氏が私生活の正当化に流用した 「私」 とは違 (たが) う事は確かですね。
私は田山花袋氏も ジード 氏も読んでいない、そして もし私が二人の作品を読んだ時に、どちらの作家に惹かれるかは瞭然でしょう──疑いもなく ジード 氏に惹かれるでしょうね。ただし、ジード 氏に惹かれるという事は、ジード 氏をわかるという事を必ずしも意味しない。現代に生きる私は、そうとうに西洋化された生活を送って来たし、(フランス 語ではないけれど) 英語もそれなりに学習し且つ西洋哲学も学んで来たので、西洋的思考に慣れていて、ジード 氏に較べて寧ろ田山花袋氏のほうが私には外国人の様に感じられるのではないかしら。それでも、「文学の風通しの悪さを慨嘆せざるを得なかった当時の ジイド の心が僕らにほんとうに納得が行くだろうか」 という問いには、私は、きっと、「否」 と言うしかないでしょうね。というのは、彼が生きた社会 (即ち伝統に根ざした生活様式) を私は共有できてはいないので。ここにも文学 (あるいは、精神や思想) の困難がある。
(2012年 9月 8日)