anti-daily-life-20121023
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Instead, by speaking the truth in a spirit of love,... (Ephesians 4-15)

 



 小林秀雄氏は、「私小説論」 の中で以下の文を綴っています。

     横光氏の 「花花」 の主題を評して河上徹太郎が次の
    ように書いていた。明快な分析であると思うから、ここ
    に引用する。

       この作の主題は近代青年男女の入り組んだ恋愛
       葛藤の戯画である。ところが古典的な恋愛小説
       や新しいものでも通俗小説の恋愛なら、恋愛と
       いうものが絶対的事実であるから話は簡単だが、
       近代青年の場合はそうはいかない。といって
       この人物たちは、一昔前の ロマンチック な青年
       のようにいわゆる恋愛を恋愛するのでもなけれ
       ば、ウルトラ・モダン 人種に見らるる如く恋愛
       を弄ぶのでもない。彼らは現代文化を代表する
       教養ある良家の子女である。彼らは恋愛の中に
       肉慾的なもののあることを知り、人生において
       恋愛が如何に愚劣な消極的な行為であるかを
       知り、同時に情操生活の一中心として必要なもの
       であることを許しその上実生活上の最も本能的
       なものから最も便宜的・虚飾的に至るものに
       対する恋愛の効果まで計算することを忘れない
       のである。しかもその揚句、恋愛による対人的
       優越感の闘争に殆ど騎士的な情熱で以て参加し
       ているのである。一口でいえば彼らは恋愛しない
       で、恋愛の掛け引を恋愛しているのである。

     恐ろしく面倒な恋愛である。しかし少なくともこういう
    恋愛の可能性は到る処に見つかるのだ。またこの可能
    性の如きを必要としない現代の通俗小説においても、
    恋愛というその虎の子の題材は昔のようなはっきりした
    姿を決してしていないのである。通俗小説の読者という
    ものは、常に自分の生活に親しいものを小説に求める
    ものだ。(略) 通俗作家たちが知らないわけはないので
    ある。知っているが、書けないのだ。才能が不足で書け
    ないのではない、(略) そこで、昔もなかった今もない
    またあり得ないという恋愛談を発明する。よくそんな妙な
    ものが発明出来ると思うが、それは虚構を求めている
    読者との馴合いの仕事だから、真面目に考える方が
    馬鹿である。そこで、教養人でなくても多少恋愛の実地
    経験のあるものはちっとも面白がらない。(略)

 私 (佐藤正美) は高校生の頃から小説を多数読んでいましたが──純文学も通俗小説も古典であれ現代小説であれ、乱読と云っていいほどに読んでいましたが──、大学を卒業した頃から現代小説を読まなくなりました。その理由は、「面白くない」 からの一言に尽きますが、その面白くない理由を小林秀雄氏は率直に射抜いています。私が感じていた事を適確に代辯してくれています。私は、当時 (大学生の頃)、恋愛状態 [ 遠隔地恋愛 ] にあって、大学が 「学生運動」 の嵐の中で ロックアウト 状態にあったので、貧乏な学生ができる事と云ったら下宿で書物を読むしかなかったのですが、恋愛中の青年が読む書物は哲学か恋愛小説になるでしょう、私は現代の恋愛小説を読み漁りましたが、殆どすべての小説が つまらなかった──寧ろ、大正時代の作品にもかかわらず、有島武郎氏の 「宣言」 のほうが読んでいて身につまされる思いがしました [ 心臓の鼓動の高まりを覚えました ]。

 「宣言」 は手紙形式の恋愛小説ですが、私が大学生の頃は E-メール や Skype がなかった時代ですから、遠隔地恋愛では手紙・電話を頼るしかなかったので──彼女の手紙が届いているかどうか、まいにち、下宿の郵便箱を開けるのが愉しみだったのですが [ 彼女の手紙が長いあいだ来ないと気が気でなかったし、宛名書きに彼女の筆跡を見つけた時は小躍りしたのですが ]──(小説の手紙形式が) 身につまされた。「宣言」 は通俗小説かもしれない。そして、「宣言」 は、還暦を迎えようとしている今でも私の好きな小説の一つです。現代の恋愛小説を読んでも、私は夢中になって惹き込まれた事は一向なかった──現代小説で面白かったと思った作品は、もし一つ選ぶとすれば、「北都物語」 (渡辺淳一) かもしれない。

 勿論、文学作品というのは、(文芸批評を仕事にしている人たちを除けば、) 個人的趣味 [ 嗜好、taste ] の話題であって、現代小説に興味を覚える人たちもいるでしょうし、「宣言」 を面白くないと感じる人たちもいるでしょう。私が個人的に現代小説をつまらないと感じていたので、文芸批評家の小林秀雄氏もそう感じていたという事が愉快だった。私が小説を読んで面白いと感じるのは 「作家の 『視点』」 じゃないのであって、物語の 「世界」 の魅力なのです──小説を読む人たちの多くは、めいめいの人生観 (嗜好) が様々であっても、きっと そうでしょう。「視点」 というものは読者のほうでも持っているのだから。

 
 (2012年10月23日)


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